体調を崩してネペンテスさんに看病をされながら、さらに数日が経ったある日…―。
(もうだいぶよくなったみたい)
窓を開けて、少し湿り気のある外の風に当たっていると、ネペンテスさんが私の様子を見に、部屋へやってきた。
ネペンテス「すっかり顔色もよくなりましたね」
〇〇「はい。あの、本当にありがとうございました。 招かれてやってきたのに、看病までしてもらって」
ネペンテス「気にしなくてもいいんですよ、私がやりたくてやったことです」
八重歯を見せて、彼が満たされたように笑う。
私は窓の外に視線を移すと、ふとこの国に訪れる前のことを思い出した。
(そういえば、この国に来てどれくらい経っているのかな?)
〇〇「すっかりお世話になりました……私、そろそろ帰らないと」
ぽつりと、その言葉を口に出すと……
ネペンテス「……」
まるで獲物を絡め取るかのような、ネペンテスさんのじっとりとした視線が、私を捕えた。
ネペンテス「帰るなどと……いけません、まだその時ではないでしょう」
〇〇「え……ネペンテス、さん?」
彼の少しひんやりとした手が、私の手をさする。
すると、どこからか甘い匂いが漂い始めた。
(この香り、どこかで前にも……)
ネペンテス「まだ食事をとり続けてください……あなた様が健康になるまで。 そして、もっとふくよかに、もっと瑞々しく……!」
〇〇「!?」
妖しげな彼の言葉に、背筋がざわつき、手を振り払おうとした。
だけど……
〇〇「……!?」
私の手を掴んだネペンテスさんの力は強く、簡単には振り払えない。
ネペンテス「ふふ……元気に暴れるくらいが、私は好みですが。 そんな怯えたような顔をされると……ここであなた様を食べてしまいたくなってしまいます」
〇〇「え……?」
風がそよぐように、彼が笑う。
すると、鼻先に漂ってくる甘い香りがさらに強くなった気がした。
(もしかしてこの匂い、ネペンテスさんの香り……?)
心を落ち着かせようと、深く呼吸を吸い込むと、頭の奥に痺れるような甘さが全身に広がっていく…―。
〇〇「……ん……私……」
(体が……上手く動かない)
(どうして……?)
やっとの思いで首を上げるも、彼の表情をうかがうことすらできない。
ネペンテス「おや……? いけませんね、また体調が悪くなったようです」
ネペンテスさんは酔ったように足元がおぼつかなくなった私を抱き上げて、ベッドへ運ぶ。
スプリングが軋む音がして、私の体はベッドへと沈んだ。
ネペンテス「ほら、いけません、大切なお体なのだから、気をつけて……」
〇〇「あ……ネペンテスさん……?」
朦朧とする意識で、ようやく彼を見上げれば…―。
妖しげに笑う彼の瞳が、私の心に絡みついた。
ネペンテス「〇〇……」
(……私の名前……?)
ネペンテス「ああ……やはりいい香りです。今までに食したどんなものよりも、香り高く私を誘う……。 〇〇、本当に今すぐ食べてしまいたい」
耳元で囁かれた声に、どうしてかひどく心が彼に吸い寄せられる。
まるで虫達が甘い匂いに誘われて、蜜源に吸い寄せられるように……
〇〇「ネペン……テスさ…―」
危険を感じながらも、その香しい甘さから逃れられない。
〇〇「あ……っ」
私の首元を彼の舌が這った。
触れる指先は冷たく感じるのに、ねっとりと触れた舌の感覚だけがいやに熱い。
(どうして……嫌じゃない……?)
何かを考えようとしても、霧がかかったような頭の中は、もう甘い香りばかりを欲している。
ネペンテス「〇〇、もう少しだけ、私の傍に……。 そして、その時が来たら……どうか私の愛をその身で…―」
妖艶な笑みが、大胆に彼の唇に浮かぶ。
〇〇「ん……ネペン……テス、さん」
ついに私は目を開くこともできなくなり、そこで視界を手放した。
ネペンテス「そう、私に身を委ねてください……」
私の体を撫で回す彼の手の冷たさすら、もう感じることができなかった。
ただ辺りを包む甘い匂いだけが、私の意識を支配していた…―。
おわり。