あの嵐の日から、数日…―。
俺は甲板に一人立ち、風になびく帆を見つめた。
(この船に初めて乗ったのは、いつのことだったろうな)
帆を支える支柱に手を当てれば、指先が傷跡に触れる。
ロッソ「すっかり傷だらけになっちまったよな、お前も」
苦楽を共にしてきた船・バレナロッサは、あの日から癒えない傷を負ったまま……
(この傷を背負っていくことが、俺の責任だと思っていたが)
―――――
○○『私は……ロッソさんの前から絶対に消えたりしません』
―――――
嵐の中で、○○に言われた言葉がよみがえる。
(あの言葉で……目が覚めたぜ)
ロッソ「いつまでもこのままにしておくわけにはいかねえよな」
(この船も、仲間達も、長い間俺の都合で振り回してしまった)
(だが、過去にとらわれるのはもう終わりだ)
(お前達を忘れるわけじゃない……それはきっと、わかってくれるよな?)
もちろん、と返事をするように、海風で帆がはためいた。
その後、船を修理する仲間達に告げると、皆は諸手を上げて喜んだ。
ずっと過去ばかり見つめていて気づかなかったが、皆あの船に不安を抱いていたらしい。
(そのことに気づかせてくれたのは・、こいつだな……)
隣に立つ○○の気配を感じながら、船を見上げる。
ロッソ「……」
ドッグに入ったバレナロッサは、大丈夫だと言うように波に揺れていた。
(これまで、必死に俺達を支えてくれて、ありがとな)
(そんなボロボロの体じゃ、キツかったろ? でも、もう大丈夫だ。強くなって戻って来いよ)
じっとバレナロッサと見つめ合う俺に、○○は不安げに声をかけてくる。
○○「ロッソさん……」
ロッソ「ああ、大丈夫だ。ちょっと、挨拶してただけだよ。 ちゃんと強くなって戻ってこいって。それに……」
○○「?」
(それに……俺も、強くなるからな)
俺はその誓いをしっかりと胸に刻んだ。
…
……
それからしばらく…―。
○○が、立派に生まれ変わったバレナロッサを見上げている。
俺はその隣に並ぶと、深く息を吐いた。
(いい面構えだ……)
ロッソ「……すげえ、見違えたな」
○○「はい。とても素敵になりました。 これでもう、どんな航海も乗り越えられそうですね」
ロッソ「ああ、その通りだ」
微かに肩が触れ合う。
反射的に顔を上げた○○を、衝動のままに抱き寄せた。
○○「っ……!」
俺の腕にすっぽり収まる小さな体……
(俺に前を向かせてくれたのは、ほかでもない、こいつだ……!)
ロッソ「○○……ありがとな」
彼女の温もりを確かめるように抱きしめながら、耳元で囁く。
○○「え……? 私は何も……」
ロッソ「いや、○○のおかげだ。 ○○のおいかげで、今回決心することができた。 なんか知らねえけど……お前はすげえ奴だよ」
俺の言葉に導かれるように、彼女はわずかに顔を上げる。
そのまっすぐで力強い瞳は、俺の心を掴んだまま離さない。
(こいつの見つめる方向に舵を切りたくなる)
(○○の見つめる……未来に)
それを意識した瞬間、腕に自然と力がこもった。
ロッソ「俺はずっと……この船の形を変えることで、あいつらを裏切ることになると思ってた。 だけど……でも、今残っている仲間のことも、もっともっと大切にしていきてえんだ。 絶対にもう誰も……失いたくねえ」
その言葉を口にした瞬間、胸の奥から込み上げてくるものがある。
彼女の瞳にも、わずかに涙がにじんでいた。
ロッソ「あのボロボロのままの船じゃ……守ることができない時が来るかもしれねえ。 それよりは……」
○○「私は……船の形が変わっても、きっと、ロッソさんの仲間の魂はこの船に宿っていると思います。 そしてきっと……綺麗になったバレナロッサ号を喜んでくれてるんじゃないかなって」
彼女の言葉は、静かに俺の中に染み入ってくる。
(本当に、あいつらがそう言ってくれているような気がするな……)
不意にかつての仲間達の姿が脳裏に浮かんで、俺は深く息を吐いた。
ロッソ「そうだな……ありがとう、○○のおかげで、俺は前に進める」
○○「そんな…―。 っ……」
彼女の言葉を奪うように、その唇を静かに塞ぐ。
ロッソ「俺と、バレナロッサと。一緒に生きてくれ」
夕陽に赤く染まる○○の頬に手を添えて、もう一度深く口づける。
(俺はもう、未来に向かえる。こいつと一緒なら、必ず…―)
生まれ変わったバレナロッサが、波に揺られ俺達を静かに見つめていた…―。
おわり。