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楓『でもよかった。じゃあまだここにいるってことか』
○○「え……?」
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楓さんが、いたずらっぽい笑顔で私を見つめている。
(どういうこと……?)
言葉につまっていると、彼は私の枕元に腰を下ろした。
楓「はい、薬」
○○「ありがとうございます」
起き上がり薬を受け取ろうとすると、楓さんが手で制止する。
楓「何してるの。口開けて」
○○「薬くらい一人で飲めますから……」
楓「駄目。病人は甘えてればいいの」
○○「……」
楓「はい、あーん」
私は言われるがまま、小さく口を開けた。
苦い薬と、冷たい水が喉を通り過ぎていく。
○○「……ありがとうございます」
楓「どういたしまして」
薬を飲んだ後、私はもう一度横になった。
楓「もう一晩くらい寝てれば、よくなるかな?」
○○「ごめんなさい、長居してしまって」
楓「大丈夫だよ」
○○「あの……桜はまだ咲きませんか?」
楓「開花が遅れているみたいで、たぶん君が滞在している間は咲かないよ」
淡々と事実を語る楓さんを見て、小さく息が漏れた。
○○「残念です……」
楓「一週間くらい寝込んでてもいいんだよ?」
○○「え」
楓「それとも、もう一度風邪をひかせてあげようか」
楓さんが意地悪そうな笑みを浮かべて私を覗き込んだ。
○○「そんな……」
布団に横になったまま、私は微かに首を振る。
楓「冗談だよ……じゃあ、ゆっくり眠るんだよ」
○○「ありがとうございます」
楓さんは立ち上がり、静かに部屋を出て行った。
楓さんがいなくなった室内は、痛いほどの静寂に満たされていく。
(なんだか、寂しいな……)
ふと枕元に目をやると、水差しの他にもう一つ、瓶に入れられた水が置かれていた。
(これは……?)
透明の水は、ほんの少し濁っているように見える。
(もしかしてこれ、絵を描くためのお水……?)
(それなら、楓さんが忘れていったのかも)
(きっと、ないと困るものだよね……)
私はゆっくりと体を起こした後、瓶を手に取る。
…
……
薄暗い廊下は、青白い月明かりにぼんやりと照らされていた。
そっと足を進める度、廊下の冷たさがひやりと足元を伝う。
(楓さんのお部屋は、確かこの辺り……)
襖から漏れる明かりに、足を止めた。
○○「楓さん……」
声がかすれているせいか、中からの反応はない。
そっと、襖の隙間から中を確認すると、わずかに楓さんの横顔が見えた。
楓「……」
○○「!」
その表情に、襖を開きかけた手が思わず止まってしまった…―。