木々の隙間から、大きな夕日がにじんでいる。
山の麓に着いた頃には、すっかり日は傾き始めていた。
○○「着きましたね」
楓「ああ」
楓さんは口数少なく、念入りに周囲の木々を確認している。
そうしてしばらく辺りを見回した後、首を横に振った。
楓「まだ、咲いていないみたいだね」
○○「そうですね……」
楓「ここら辺はもう少しで咲きそうなんだけど」
楓さんは、蕾がほころびそうな枝に触れて残念そうな表情を浮かべる。
するとその時、冷たい風が木々の間を吹き抜けた。
○○「寒い……」
思わず、自分の体をぎゅっと抱きしめる。
楓「風が出てきたな」
楓さんは独り言のようにつぶやいてから、そっと私の肩に腕を回した。
楓「桜も咲いてなかったし、こんなところまで連れてきて……悪かったね」
○○「楓さん……」
彼は心配そうに私を見下ろし、優しく背中をさすってくれる。
○○「いえ、私も来たかったので…―」
楓「手もこんなに冷たくなってる」
楓さんはそう言って、私の手を両手で包み込んだ。
その眼差しは、優しく私に向けられている。
(いつもは意地悪なのに……)
不意に胸が熱くなり、手から伝わる楓さんの体温に胸が高鳴った。
○○「ありがとうございます」
楓「……変わってるね」
○○「え……?」
楓「結局、桜を見れなかったのにお礼を言うなんて。 変わってるよ」
穏やかな声が私の耳元で響く。
(楓さん……)
楓さんは私の手を握りながら、朱色の光を浴びる木々を見つめた。
楓「この調子だと、街の桜も開花までに時間がかかりそうだね」
○○「そうですね……」
冷たい風に、私達は自然と体を寄せ合う。
○○「楓さんと、桜、見たかったです……」
私の小さなつぶやきは、山を駆ける風にさらわれていった…―。