昼食時を迎え、街にはいい匂いが漂い始めている。
楓「街の桜はまだ咲いていないけど、山の方なら桜が咲いているかもしれない。 この辺りでは、山の桜の方が早く咲くからね」
○○「そうなんですね……」
楓「少し歩くけど、行ってみようか?」
○○「行ってみたいです」
満開の桜を思い浮かべながら、楓さんを見上げた。
けれど楓さんは訝しげな顔をしている。
楓「君、俺に合わせてない? 本当にそう思ってる?」
○○「もちろんですよ。 桜、とても楽しみです」
そういう私に、楓さんはいつもより少しだけ穏やかな眼差しを向け……
楓「へえ、そんなに楽しみなんだ。じゃあ、行こうか」
彼は私の背を軽く叩き、歩き出す。
…
……
楓「あ、ちょっと待って」
しばらく歩いてから、楓さんは画材屋の前で立ち止まった。
楓「最近顔を見せていなかったから、少し寄ってもいい?」
○○「はい」
店に入った瞬間、絵の具の独特な香りが鼻をかすめる。
店内には、絵の具や麻紙などが所狭しと置かれていた。
(すごい……)
楓「久しぶり。いい画材、入ってる?」
楓さんは店頭に並んだ絵の具を手にし、店の奥にいた店主さんに話しかけている。
彼を待つ間、私はさまざまな色の染料が並ぶ棚を眺めていた。
すると……
??「ねえ、お姉ちゃん」
不意に呼びかけられ、後ろを振り返る。
するとそこには、お絵かきをしている二人の男の子の姿があった。
(画材屋さんのお子さん達かな?)
男の子1「お姉ちゃん、桜ってどんな花だっけ?」
○○「え……」
男の子が広げている紙を覗き込むと、そこにはチューリップのような花が描かれていた。
男の子2「こんな感じだよね?」
○○「少し違うかなぁ……」
男の子2「えっ……?」
男の子は今にも泣き出しそうにうつむいてしまう。
○○「あの、よかったら、私が描いてみようか?」
男の子2「本当!?」
目を潤ませた男の子が、ぱっと笑みを浮かべた。
○○「えっと……実は絵を描くのってすごく久しぶりで、自信はないんだけど……」
きらきらと輝く二人の目に見つめられながら、桜色の色鉛筆を紙に滑らせる。
○○「確かこんな形だったような……」
記憶をたどりながら、ゆっくりと手を動かす。
けれど……
(あれ……うまく描けない)
そこには、頭で考えていた花とは違う形のものが描かれていた。
男の子1「えー、こんなのじゃないよー」
男の子2「うん、違うね~」
子ども達は笑いながら、私が描いた桜を覗き込む。
○○「えっと……」
(どうしよう……)
楓「……仕方ないな」
○○「え?」
背後から声が聞こえ、振り返ろうとした時…―。
ふわりと、楓さんの腕が私の肩に回された。
大きな手が私の手を包み込む、色鉛筆を動かしていく。
楓「本当に桜を見たことがあるの?」
耳元で楓さんの低い声が響き、胸が高鳴る。
そうして少しの後、楓さんは流れるように桜の花弁を描き上げた。
男の子1「わあ、すごい!」
男の子2「これ、桜だぁ!」
男の子1「ありがとうー!」
楓「どういたしまして」
○○「あ、あの」
楓「ん?」
○○「手を……」
楓さんに包まれたままの手を見つめ、思わず口ごもる。
すると彼は背後から私を覗き込み、口元に微笑を浮かべた。
楓「どうしたの? 顔が赤いよ」
○○「だって……」
楓さんの視線から逃れるように、顔を伏せる。
楓「真っ赤になっちゃって」
楓さんは嬉しそうに声を弾ませた。
楓「わかったよ。今日のところはこれぐらいで許してあげる」
楓さんは私から体を離すと、店主さんと談笑を始める。
(もう……)
私は、熱くなった耳にそっと触れ……
少し落ち着かない気持ちを抱えながら、楓さんの笑い声を聞いていたのだった…―。