○○さんとピクニックに行った、その日の夜…-。
藤目「はあ……」
居間で執筆をしていた私は、原稿用紙を丸め、適当に放り投げた後……
深いため息をつきながら、畳の上に大の字になって寝転がった。
藤目「……」
(……あの時……)
ーーーー
藤目『……書けないんです』
○○『書けない?』
藤目『ええ。もう何も浮かばない……恋愛小説家なのに、甘い言葉一つも浮かばないんです。 こんな私が受賞しては、賞の名を汚してしまう。次の一行を書ける気すらしないのに』
ーーーー
(あの時、私は失った感性を取り戻すために……)
(もう一度書けるようになるために、貴方に協力してもらったのに)
そっと目を閉じ、今はもう眠っているであろう○○さんの笑顔を思い返す。
藤目「胸が……苦しい……」
(きっとこの気持ちが、本物の恋……)
(それはわかってるのに、どうして……)
藤目「どうして、書けないのだろう……」
右手を天井に向けて真っ直ぐに伸ばした後、目を開いて、その手をじっと見つめる。
藤目「……。 はあ……」
私は畳の上に力なく手を下ろし、再び大の字になる。
藤目「……本当は、わかっているんだ。 私は、誰よりも魅力的に貴方を書ける。でも…。 ……見せたく、ない」
一人きりの部屋で、小さくつぶやいたその言葉は、私の心の中の濁りを、より一層強く搔き立てる。
(……貴方の魅力を綴るほどに、胸に湧き上がるこの気持ちが……)
(愛する貴方を、私だけが知るはずの貴方の顔を)
(他の誰かに見せるなんて、耐えられない)
(この醜く、恐ろしい気持ちは……)
藤目「……嫉妬……というものか」
寝返りを打ち、横向きの体勢になった後、気持ちを抑え込むかのように、胸の前で両手を組む。
(貴方のことは見せたくない)
(だけど貴方のことでなければ、執筆が進まない……)
藤目「このままでは、きっと…。 きっと私の作家生命は、終わってしまう…。 そうなれば、もう…。 ……貴方がここにいる理由が、なくなってしまう」
私は消え入りそうな声でつぶやいた後、勢いよく身を起こし、大きく息を吸い込んだ後、再び机へと向かう。
(書かなければ……)
(たとえ才能がなくとも、書くべき文が浮かばなくとも)
(貴方を、ここに繋ぎとめるために……)
愛しい彼女との幸せな日々を守るかのように、必死に筆を走らせる。
そうしてしばらくの後、書き上がった文を読み直していると……
○○「藤目さん。まだ起きてたんですね」
(えっ? あ……)
振り返ると、そこには愛しい彼女の姿があった。
○○「これ……」
○○さんは、畳の上に散らばった原稿の一枚を拾い上げ、わずかに驚いた顔をしながら目を通していた。
(……その、驚いた顔も……)
(原稿を読む時の、伏し目がちな目も、長いまつ毛も……)
(……っ。やっぱり、私は……)
藤目「……駄目だ。 駄目なんだ……!」
(貴方を、誰かに見せるなんて……!)
私は、目の前の原稿用紙を破きはじめる。
すると……
○○「藤目さん……っ!」
彼女は私を止めるかのように、後ろから抱き締めてくれた。
その温かさを感じながら、私は静かに口を開く。
藤目「……せっかく協力していただきましたが……私は貴方のことは書けません。 私は恋を知りました……それは、恐ろしいほどにドロドロとした感情だった」
(今こうしている間も、飲み込まれてしまいそうなほどに……)
○○「……え?」
藤目「……貴方を、愛しく思う。 貴方が愛しくて愛しくてたまらない」
震える手で、最愛の彼女の髪をくしゃりと撫でる。
○○「……っ」
(だから、私は……)
抑えねばと思えば思うほどに、胸の奥から気持ちがあふれ……
心の淵から、言葉となってこぼれていく。
藤目「貴方のことを誰かに見せるなんて耐えられない…。 拗ねた顔……可愛らしい声……無邪気な笑顔。 ほんの少しでも、他の人に見せたくはない。 こんな恐ろしい気持ちを抱く男は……嫌ですか?」
自分のものとは信じがたいほどの静かな声が、二人きりの空間に響く。
○○「藤目……さん」
藤目「恋とは……美しいものではなかったのですね…。 貴方を……私だけの物語に閉じ込めておきたい……」
(そんな私を、貴方はどう思うのでしょうか……?)
私は、彼女をどこか試すような目で見つめる。
けれど、どんな返事が来ようとも……
彼女を手放すことなど、既に私にはできないのだった…-。
おわり。