工事の怠慢のせいで転んでしまった〇〇さんを追って、城へと戻ってきた後…―。
イラ「……怒ってごめんね。開けてくれる?」
(〇〇さんが怪我をしてしまうなんて……)
(……許せない)
彼女のひざから血がにじんでいたことを思い出し、奥歯を強く噛みしめる。
〇〇「だ、大丈夫です、大した怪我じゃありませんから」
(そんなこと、信じると思う?)
(怪我の様子を見なければ。そして早急に手当てをし、工事担当者の処罰を決めなければならない)
イラ「いいから、ここを開けなさい。手当てをするだけですよ」
ふるえるほどに怒りが込み上げるのを抑え、できるだけ丁寧な言葉を選んだ。
(こうしている間にも傷に菌が入り、取り返しのつかないことになるかもしれない)
(そのせいで、〇〇さんの笑顔が失われてしまった……?)
(許せない……)
(あああああ許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない許せない)
頭の中に、怒りが渦巻いて……
次の瞬間、全ての思考が憤怒の情に流されていった。
イラ「なぜ言うことを聞けないのですか? 扉を開けなさいと言っているのです!」
衝動に突き動かされるように鍵束をたぐり、錠前に鍵を差し込む。
扉の隙間から、彼女の恐怖に青ざめた顔が見えた。
(僕は君を傷つけたりしないのに)
伏目がちに視線を泳がせ、すくみあがる人の姿……
それは、見慣れた光景だった。
〇〇「怒らないでください……工事をした方の腕を潰すなんて、言わないでください」
必死に訴える彼女の瞳に、うっすらと涙が浮かぶ。
イラ「……!」
見慣れたはずのこの光景が、なぜだかひどく僕の心を動揺させる。
(僕は、知ってる)
(僕に怯えて泣いた人が、どうするか)
(誰もが僕から逃げていく……そして、二度と近づいてきてはくれない)
彼女の瞳から次々と流れ落ちる涙とともに、僕の怒りも床に吸い込まれていく。
……恐怖……怒りの後に残ったのは、まぎれもなくこの感情だった。
イラ「泣かないで……怖かったよね」
(君に泣かれると、どうしていいかわからない)
(君が僕から遠ざかると思うと……)
馬鹿みたいにふるえている自分の声を、滑稽だと思う。
けれど震えは止まらずに、息を吸うことさえも自分の思うままにできなかった。
イラ「お願いだから、泣かないでくれ」
僕は恐る恐る彼女の背を撫でる。
(涙なんて、慣れてるのに)
(その後一人になるのも、もう慣れたはずなのに)
(どうしてこんなに胸はつぶれそうなんだ)
彼女を失う恐怖で、頭の中がぐちゃぐちゃになっていく。
(どうすればいいんだ)
(どうすれば、君は……)
考えれば考えるほどに増していく恐怖に、僕の心はますます追い詰められてしまう。
そして、次の瞬間……
イラ「……泣くなと言っている!」
〇〇「!」
弾かれたように叫んだ後、僕は力いっぱい彼女を抱きしめた。
〇〇「イラ、さん……?」
イラ「もう、怒ってないから……怒りは鎮めるから……どんなことでもするから。 お願いだから泣き止んで……」
ふるえる指で彼女の頬の涙をぬぐう。
イラ「君だけは、僕から逃げないで……」
〇〇「イラ、さん……?」
(いつも、一人だった)
(いつも、僕の隣には、誰もいてくれなかった)
イラ「……っ」
彼女は、震える僕の手をそっと握ってくれる。
イラ「君が好き……!」
決して離さないように……僕はその小さな手に口づけを落とす。
(君が欲しい)
(僕の隣に、君が欲しい)
(他には何も望まないから……)
〇〇「イラさん……っ」
僕は彼女を軋むほどに抱きしめながら、この温もりを決して失うまいと心に誓ったのだった…-。
おわり。