森は今日も静寂に包まれている。
穏やかな木漏れ日が揺れる中、私はハクさんに借りた本を読んでいた。
(……難しい)
ハクさんの方をちらりと見ると、静かに本を読みふけっていた。
(……出会った時も、こうして本を読んでた)
(あの時は、ずっと気づいてくれなくて)
(感情がないなんて、メイドさん達は言ってたけど……)
ハクさんの笑顔を思い出すと、胸が温かくなる。
じっと彼を見つめていると、パタンと本を閉じる音がした。
ハク「……」
ハクさんの灰色の瞳が、静かに私を映している。
○○「ご、ごめんなさい! お邪魔しちゃいましたか?」
ハク「つまらなかったか?」
○○「え……」
ハク「その本」
ハクさんは、私が持っている本に視線を移した。
○○「あ……その、私には少し難しくて……」
ハク「そうか。悪かった。 物語は、あまり持ち合わせていなくてな」
そう言ってハクさんは、すまなさそうにうつむいた。
○○「そんな……! 私こそ、すみません。せっかくお借りしたのに……」
ハク「教えてくれないか」
○○「えっ……」
ハク「なぜ物語が……好き、なのか」
○○「えっと……」
必死に言葉を探していく。
○○「お話に出てくる登場人物と、感情を同じにできるところ……かな」
ハク「……」
○○「嬉しいとか、悲しいとか。私もその物語の中にいる気持ちに、なるんです」
ハクさんが、私を真っ直ぐに見つめている。
ハク「……やはり俺にはよくわからない」
○○「あの……ハクさんは、嬉しいとか、悲しいとか……。 そういうこと、感じたりしませんか……?」
ハク「……。 ……俺は」
ハクさんの表情は変わらなかったけれど、その声に、少しだけ憂いを感じた。
ハク「俺の母は、感情豊かな人間だった」
(……だった?)
ハク「感情の振れ幅が大きかった。 嬉しい時は涙を流して喜び、怒っている時は物を壊しながらわめいたり。 俺に暴力をふるうことも、少なくなかった。死にかけたこともある」
(そんな……)
ハク「そんな母から逃げるように、俺は本に没頭した。 いつしか俺は、本を読むことしかしなくなった。 そのうちに、笑うことや怒ることもできなくなった……と、いうよりわからなくなったんだ。 母に何を言われても、何をされても、俺はもう何も感じなかった。とても楽になった」
○○「今は、お母様は……?」
ハク「死んだ」
○○「……!」
ハク「もう、だいぶ前のことだ。俺は、その時すら何も感じなかった」
(そういえば……)
ー----
メイド1『ほら、王妃様がお亡くなりになった時も……』
ー----
(ハクさんが感情を失くしたのは、自分を守るためだったんだ……)
ハクさんから語られた言葉に、何と言っていいのかがわからなくなる。
ハク「でも……」
ハクさんの大きな手が、不意に私の頬を包む。
○○「ハク……さん……?」
ハク「お前も、感情が豊かだが……。 母とは違う。お前を見ていると、何だか不思議な気持ちになる」
○○「ハクさん……?」
彼の長い指が私の頬を撫で、胸が早鐘を打ち始めたその時…ー。
ハク「……!」
ハクさんが突然、私の腕を強く後ろに引いた。
○○「……っ!」
突然の強い力に体を支えきれず、私はその場に倒れ込んでしまう。
○○「ハクさん……?」
慌ててハクさんの方を見ると……
??「ハク王子……だな」
背の高い男が、ハクさんの前に威嚇するように立っていた。
男「一緒に来てもらおうか」
男が剣を抜こうと構えた時……
ハク「……!」
ハクさんが素早く懐から短剣を抜き、それが瞬時に男ののど元に突きつけられた。
(速い……!)
ハク「……去れ」
剣の切っ先がのど元に触れ、わずかに血が流れ出す。
男「くっ……」
男は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、私達から離れたけれど……
男「……」
(え……?)
私の方を見て一瞬ニヤリと笑ったかと思うと、そのまま森の中へ消えて行った。
○○「……」
私は、倒れたまま動くことができないでいた。
ハク「……大丈夫か」
ハクさんが剣をおさめ、私を助け起こしてくれる。
○○「今のは……」
ハク「ああ。 恐らく盗賊だ。以前も襲われたことがある」
ハクさんは、何もなかったかのように淡々と言葉を発する。
ハク「俺は供もつけずに一人でいることが多いからな」
(そうだったんだ……)
ハク「……ひざが」
ハクさんに言われて自分のひざを見ると、擦り傷ができていた。
(さっき、転んだ時に……)
ハク「……」
ハクさんが、いきなり私を軽々と抱き上げた。
○○「ハ、ハクさん……!?」
驚いて頬を染める私に構わず、彼は足早に歩き出す。
○○「あの、大丈夫です! たいしたことないので!」
ハク「しかし、俺がお前に怪我をさせてしまったのだろう」
○○「あれは、助けてくれたんですから……それに、私、重いですし……!」
恥ずかしさに何度も瞳をまばたかせている私に、ハクさんがぽつりとつぶやく。
ハク「うさぎとたいして変わらない」
触れているところから、彼の熱が伝わってくる。
(ハクさんの、心臓の音が聞こえる……)
森の静寂の中、私達の鼓動だけが音を立てているようだった…ー。