凍哉さんが最後に連れて来てくれたのは、一面の花畑だった。
(なんて、綺麗な景色……)
見上げた夜空には、春の星座がしとやかに瞬いて……
深く息を吸い込めば、甘い香りで胸が満たされる。
凍哉「○○、おいで」
私は凍哉さんに導かれ、花畑に腰を下ろす。
凍哉「この場所、気に入ってくれた?」
○○「はい……とても春らしい場所ですね」
凍哉「本当は、初めて会った時から、君をここに連れて来たかった」
(そうだったの……?)
凍哉「でも、冬の間は君に笑いかけることもできないし。 俺と一緒にいても、君を楽しませてあげられないから……」
○○「そんなこと……私、凍哉さんといる時は、いつも楽しかったですよ?」
(寒さで震える私に、温かい織物を羽織らせてくれた……)
(雪原から滑り落ちそうになって、一緒に雪まみれになったことも……)
○○「私にとっては、どれも大切な冬の思い出です」
そう伝えると、凍哉さんは頬が少し赤らんだように見えた。
凍哉「君って、本当にお人よしだよね。 でも、どうしてかな……君の隣は居心地がいい」
(凍哉さん……)
優しい月明かりの下で、二人きり……
時が経つのも忘れて、凍哉さんとのおしゃべりに花を咲かせていた。
凍哉「楓の作品そっくりの贋作が出回った時、陽影がそれを自慢げに部屋へ飾っててさ。 しばらく誰も気づかなくて、最後は楓に破り捨てられたっていう……。 その時の、陽影の驚いた顔ったら……最高だったよ」
(笑っちゃいけないのに、つい想像しちゃうな)
凍哉さんは約束通り、私をたくさん笑わせてくれた。
○○「はぁ……凍哉さんにたくさん笑わされちゃいました」
凍哉「なんだか疲れてるみたいだけど、大丈夫?」
○○「これは笑い疲れですよ。心地いい感覚です」
凍哉「確かに。俺も君といる間、楽しくてずっと笑ってた」
(凍哉さん……?)
凍哉さんは、ゆっくり立ち上がると……
月に背を向けて、静かに私を振り返った。
凍哉「俺の話で君が笑うと、胸がくすぐったくなるくらい嬉しくて。 もっと笑わせたい、君の笑顔が見たいって……」
そこまで言って、凍哉さんがはたと顔を上げる。
凍哉「……もしかして、俺は君のために芸人になるべきなのかな?」
その真剣な顔を見て、私は軽く吹き出してしまう。
○○「凍哉さんは、そのままで充分楽しい人です」
短い沈黙の後、凍哉さんがぽつりと口を開いた。
凍哉「……君は、楽しい人が好き?」
(え……?)
凍哉「○○は、どんな人に惹かれる?」
穏やかだった凍哉さんの声音に、微かな緊張が混じる。
○○「……それは」
凍哉「……」
じっと息を詰めて、凍哉さんが私の言葉を待っていた。
○○「私……」
凍哉さんをまっすぐに見つめ、大切に言葉を紡ぐ。
○○「冬の間は不愛想でも、本当は優しくて……。 春は笑顔で、楽しい凍哉さんに惹かれています」
すると……
凍哉さんは口元を押さえ、視線を逸らした。
凍哉「……どうしよう」
○○「え?」
凍哉「あんまり嬉しくて、顔が勝手に……」
そう言いながら、凍哉さんが自分の頬に手をあてる。
凍哉「元に戻らない……どうしよう、○○? このままじゃ、明日には夏が来てしまう」
○○「えっ、大丈夫ですか……!?」
心配になり、凍哉さんの顔を覗き込んだ時……
凍哉「……冗談だよ」
不意に凍哉さんの顔が近づき、頬に微かに唇が触れた。
○○「!」
‘(えっ……じゃあ、今のは嘘?)
凍哉さんは少しも悪びれることなく、綺麗に笑って見せる。
凍哉「こうしたら、元に戻るかと思ったけど。 駄目だな。驚いた君がかわいくて、ますます笑顔になっちゃったよ」
○○「凍哉さん……!」
呆然としたまま、凍哉さんの悪戯な笑顔を見つめ……
やがて私も、ふっと頬を緩める。
○○「笑顔のままで、大丈夫です……。 次の冬が来るまで、ずっと笑顔でいてください」
(せめて、この季節だけは……)
私は心から、凍哉さんが笑顔であることを願った。
凍哉「そうだね……でも」
凍哉さんの甘く切ない瞳が、私の胸を揺さぶる。
凍哉「そのためには、もっと君が必要だ」
凍哉さんは、私の顎に指を絡め、優しく上を向かせる。
唇に注がれた甘い熱に、身も心もゆっくりと満たされていった…―。
おわり。