上品な装飾が施された店内に、甘く品のいい香りが漂っている。
砕牙「○○、しばらく離れるがよいか?」
さっそく店員さんと話し始めた砕牙さんが、気遣わしげな視線を私に向ける。
○○「大丈夫です。私は店のチョコを見てますから」
砕牙「すまぬな……」
私から離れて、砕牙さんが店員さんと奥へと入っていく。
(砕牙さん、嬉しそう)
砕牙さんの尻尾がゆらゆらと揺れている。
砕牙さんの無邪気な様子を目の当たりにし、私の頬は自然と緩んでいく。
(愛の日か……)
私は店内に飾られたさまざまなチョコレートを眺める。
(チョコは恋の特効薬……)
不意に、昨日見た店のキャッチフレーズを思い出す。
(もし、私が砕牙さんにチョコを贈ったら……砕牙さんは受け取ってくれるかな?)
少し胸をざわめかせながら、なおもチョコレートを眺めていると…―。
○○「あ…オランジェット?」
薄く輪切りにされた砂糖漬けのオレンジに、チョコレートがコーティングされている。
その隣にあったのは…―。
○○「これ、柚子?」
そのチョコレートには、オレンジの代わりに、砂糖漬けの柚子が使われていた。
(これだったら、砕牙さんも食べやすいかな?)
(砕牙さんに、チョコを贈りたい)
(私の気持ちも一緒に……受け取ってくれるといいな……)
飴色に輝く柚子のチョコが、私に勇気を与えてくれる気がした…―。
…
……
しばらくして、店の奥から砕牙さんが戻って来た。
砕牙「すまぬ。待たせたか?」
○○「いいえ」
砕牙「いろいろと新しいカカオについて聞いてきた。 カカオは日を改めてもらうことになったが、実に興味深い物だった」
砕牙さんは満足そうに頷く。
○○「よかったですね、砕牙さん」
砕牙「ああ。後はチョコレートをいろいろと買おうと思ってな」
(買う……?)
砕牙「うぬもいらぬか? 待たせた詫びもある」
(今、買われてしまったら……)
○○「あ……あの! 待ってください……!」
砕牙「どうした?」
○○「これ、砕牙さんに受け取って欲しくて……!」
私は思い切って、砕牙さんにさっき買ったばかりのチョコの包みを差し出す。
砕牙「これは……?」
○○「さっき……砕牙さんを待っている時に買ったんです」
砕牙「……」
砕牙さんは何も言わずに、私が差し出したチョコを見つめている。
(驚いているのかな……?)
砕牙「……よいのか?」
○○「え……?」
砕牙「うぬは贈りたい相手が他にいるのだと思うていたが……」
○○「他に?」
予想していなかった言葉を聞いて、私は瞳を瞬かせる。
砕牙「だから昨日、我に問われて迷っていたのだろう?」
(昨日って……もしかしてあの時?)
ー----
砕牙「チョコレートは幸せな気持ちを共有するのだろう? ならばと思い聞いたのだが……」
○○「あの……」
砕牙「ああ……そうか。 うぬを困らせてしまったようだな……すまぬ」
ー----
(もしかしてあの時……)
砕牙「効能ばかり気にして、愛の日というものの意味を失念していたのだ。 愛する者や想いを寄せる者への贈り物なのだろう?」
(もしかして、砕牙さんは私が別に好きな人がいるって勘違いしているんじゃ……)
○○「違います! 他に贈りたい相手なんて……。 私は……砕牙さんに受け取って欲しいんです……!」
慌てて言い募ると…―。
砕牙「○○……」
(え……?)
砕牙さんの顔が赤く染まっていく。
(尻尾が……)
彼の尻尾が、毛が逆立ち大きく膨らんでいる。
(もしかして……喜んでいるの?)
砕牙「あまり……見るでない」
砕牙さんは、低く言葉を紡ぐと、私の傍へと近づく。
○○「っ……!」
私の手ごと握りしめると、彼は贈り物へと顔を寄せた。
砕牙「よい香りがする……」
○○「柚子を使ったチョコなんです。 豆大福が好きだと言っていたので、もしかしたらさっぱりしたチョコの方がお好きかと思って」
砕牙「我のことを思うて選んでくれたのか?」
○○「はい……」
砕牙さんの深緑色の瞳が、私をうかがうように揺れる。
砕牙「我にチョコレートを贈りたいということは、そう捉えてよいのか? うぬの想い人が、我だと……」
○○「はい……」
正直に答えると、私の手を包む彼の手に力が込められた。
砕牙「嬉しいものだな……。 ……あの時、我は己の心を不思議に思っていたのだ。 迷っているうぬを見て、うぬは共にチョコレートを食べたい相手が誰か他にいるのだろうかと……。 心を掻き乱された……」
(それって……)
砕牙「再会したばかりだと言うのに、なぜこうも、うぬに心を掻き乱されるのか……」
(砕牙さんがそんな風に思っていてくれたなんて……)
嬉しさが、体中に広がっていく…―。
○○「私も、砕牙さんとお会いしたばかりなのに、一緒にいたくて……」
砕牙さんは贈り物から顔を離すと、そのまま私へと顔を寄せる。
○○「っ……!」
砕牙さんの鼻先が、私の頬に触れる。
砕牙「このチョコレートの効能だろうか……うぬが愛おしくてたまらない……」
彼の吐息に肌を撫でられたかと思ったら、今度は私と彼の鼻先がそっと触れ合う。
○○「砕牙さん……周りに人が……」
砕牙「おお、そうであったな……」
彼は私の額にキスを落とすと、ゆっくりと顔を離した。
砕牙「このカカオはなんと危険なのだろう。 香りを嗅いだだけで、周りのことなど、どうでもよくなりそうだ」
(本当にチョコの効能……?)
熱くなった額を手で押さえ、砕牙さんを見つめると……
甘さをはらんだ瞳で見つめ返され、妖艶に微笑まれるのだった…―。
おわり