チョコを作り始めてから数時間が過ぎ、厨房は甘い香りが充満していた。
(さて……そろそろか?)
(上手くできているといいが……)
(あいつに下手なものを食べさせるわけにはいかないからな)
冷蔵庫を覗き込み、チョコの仕上がりを確認する。
(よし。上手く固まったみたいだ。これなら……)
アンタレス「完成だ!」
満足のいくでき栄えに笑みを浮かべると、〇〇も顔を輝かせた。
〇〇「お疲れ様です……!」
彼女は嬉しそうにこちらに駆け寄ってくる。
だが……
(いや、まだだ。これでは足りない……)
(もっと愛の日に相応しいものに……)
(アンタにこの愛を伝えるに、相応しいものにしないとな)
さっとチョコを冷蔵庫に仕舞うと、近づいてきた彼女に笑みを向けた。
アンタレス「すぐに食べさせてやる。だからテーブルについて、いい子で待ってな?」
〇〇「っ……」
ふわりと頬を撫でると、〇〇は驚いたように目を見開いて……
わずかに頬を染めながら、こくりと小さく頷いた。
〇〇「わかりました。待っています」
彼女は期待に満ちた目をしながら、レストランスペースに戻って行く。
(さて……それじゃ始めるか)
〇〇の姿が見えなくなってから、仕上げに取りかかる。
(これを見たら、アイツはどんな顔をしてくれるんだろうな……)
(だが、焦りは禁物だ)
高ぶる気持ちを抑えながら、俺は丁寧に作業を進めていた。
…
……
アンタレス「待たせたな。ようやくできた」
デコレーションしたチョコレートを、テーブルに置く。
〇〇「わあ……素敵」
(よかった。どうやら見た目は合格のようだな)
瞳の煌めきや、うっとりした表情から、彼女の喜びが伝わってくる。
アンタレス「食べてみろ」
〇〇「はい。でも……食べるのがもったいないです」
(まったく……アンタはすぐそうやって、可愛いことを言う)
(アンタが望むなら、これぐらいいつだって作ってやるっていうのに)
彼女の言葉に、俺は思わず苦笑してしまう。
アンタレス「食べてもらうために作ったんだからな」
〇〇「っ……そ、そうですよね。 じゃあ、いただきます」
彼女はフォークを手に取ると、チョコを口の中に入れた。
〇〇「んっ……おいしい。それにこれ……」
アンタレス「気づいたか? 昨日のスパークリングワインを入れたボンボンショコラだ」
〇〇「……!」
〇〇はわずかに驚いたような表情を見せた後、チョコを味わいながら幸せそうな笑みを浮かべる。
(どうやら、味の方も合格みたいだな)
アンタレス「昨日、チョコを食べてすごく幸せそうな顔してただろ。 あれ、気に入らなくてな」
〇〇「え……?」
(我ながら、子どもじみたことを言っているとは思うが……)
どことなく気恥ずかしい気持ちを覚えながらも、俺は言葉を続ける。
アンタレス「俺じゃなくて、ショコラティエがアンタを笑顔にさせてると思ったら、つまらない気分になった。 だから俺が、自分で作って自分の力でアンタを笑顔にさせてやりたいと思ったんだ」
(〇〇の笑顔は、いつだって俺を幸せにしてくれる)
(温かくて、優しくて、それを見ているだけで胸が熱くなるんだ)
(だが、その笑顔が俺以外の誰かによって作られたものだと思うと……)
〇〇「アンタレスさん……そんなふうに……」
そう言葉を紡ぐ〇〇の瞳は微かに潤んでいた。
〇〇「大事に食べないといけませんね……」
(食べるのがもったいないって、まだ思っているようだな……)
アンタレス「……そう言うと思ったんだ」
〇〇「えっ……?」
不思議そうに俺を見上げる彼女と眼が合い、歯を見せる。
(まだ、だ。俺にはもう一つ笑顔にする武器がある)
ここぞとばかりに、俺は背中に隠し持っていた小さな箱を彼女に差し出した。
アンタレス「チョコはまだたくさんある。だから、きちんと俺の愛、全て食べろよ? アンタに、笑顔のメイクを施していいのは俺だけだ。ほら、もう一つ……」
〇〇「……はい」
チョコを差し出すと、〇〇が艶やかな唇をそっと開いた。
そうして、甘いチョコをそっと彼女の口に入れた後…-。
アンタレス「そうだ。最後に教えてやるって言ったあの意味……一本の薔薇を送る意味」
〇〇「……なんですか?」
アンタレス「『あなたしかいない』……」
あの薔薇に込めた想いを、言葉に乗せて彼女へと届ける。
〇〇「っ……!」
アンタレス「俺の愛、伝わったか?」
〇〇「……はい」
俺の問いに、彼女は恥じらいながらもそう答えてくれた。
(そうか……それならばよかった)
(だが……言葉だけじゃ足りないな。だから……)
少しだけ意地の悪い気持ちを抱きながら、俺は彼女にそっと顔を寄せる。
アンタレス「そんな返事じゃ伝わらないな。返事は……キスでしろよ」
〇〇「っ……!」
〇〇が驚いたように息を呑む。
だがほんの少しの間の後、彼女はそっと俺の頬に触れて……
チョコの味がする、甘やかな口づけを俺にくれたのだった…-。
おわり。