空のただ中で月が輝く…―。
雨粒は光の糸となり、木々へと降り注いでいる。
(雫となりて、その身に触れたくとも、この身の愚かさや……)
(そんな言葉を残した話があったな)
(今ならば、その言葉を理解できる……)
(我もまた同じなのだ)
ふと○○の気配を感じた。
砕牙「……うぬか」
○○「は、はい」
砕牙「美しい月時雨だろう? いくら雨を呼ぶ力があろうとも……このように美しい光景は、我には作り出せぬ」
(人より力を持とうと、我は万能ではないのだ)
(今、この身を持て余しているように……)
砕牙「うぬも……美しいものが好きであろう?」
○○「え……?」
○○は訳がわからぬとでも言うように、瞳を瞬かせる。
(我は何を……答えなど、当にわかっておるのに)
砕牙「……おかしなことを聞いたな。美しいものが嫌いなものなどおらぬ」
○○「砕牙さん……? っ……!」
○○を抱き寄せた。
(か細い肩だ……)
砕牙「……」
(我とは何もかもが違う。その身に流れる血も、時の長さも……)
(違うからこそ、我は○○に惹かれたのかも知れぬな)
(なんと滑稽な……)
○○の温もりを感じながら、我は月を眺める。
○○「……」
雨音が、我と○○を包む。
(離れがたい……)
(この温もりを、我は手放したくはないのだ)
(いつの間に、我はうぬのことをこれ程までに愛おしいと思うようになっていたのか……)
○○はただ静かに、我の腕に身を預ける。
砕牙「うぬが、我に何を伝えようとしているのかはわかる」
○○「……私―」
○○は、その先を言えずに口を閉ざした。
砕牙「……」
(うぬも離れがたいと思うてくれるのか?)
○○の気持ちを嬉しく思うが…―。
(その分、恐ろしいのだ)
(姿を変えた我を、うぬがどう思うかが)
(だが……)
砕牙「ここを去るか否かは、明日まで待ってくれぬか」
○○「……」
砕牙「すまぬな……」
(望みを一筋、持っていいのだとすれば……)
我は○○を抱き寄せたまま、月を見上げる。
雨の向こうで、月が美しく輝いていた…―。
次の日の夜…―。
○○「砕牙さんっ!」
全ての力を開放し、我の身から人の姿が剥がれ落ちていく。
砕牙「……」
やがて光は収まり、我の姿は元の獣の姿へと変わった。
○○が立ち尽くしたまま、我を大きな瞳で見つめている。
(……我よ、惑うな……まだ今は……)
(なすべきことがあるのだ……)
砕牙「……」
身に溢れる妖力を用いて、我は井戸の方へと呪を唱える。
呼応するように、井戸から光がほとばしった。
砕牙「っ……!!」
○○「っ!?」
井戸に宿った力はやがて激しい光の柱となり、天へ昇っていった。
砕牙「これで良い」
(これですべて終わった……)
(もとより我が引き起こしたこと)
(これで毒水は消えただろう……)
(そして……○○はこれで、我のもとから去るのだろう……)
○○「砕牙さん……!」
砕牙「うぬ……我を恐れぬのか」
○○「そんな……とっても素敵です」
思いがけぬ言葉に、息を飲んだ…―。
(そのような言葉を聞くとは……)
○○「砕牙さんに……触れても良いですか?」
○○の瞳には何の嘘もない。
そこにあるのは、美しい輝きだけ…―。
(心なしか、高揚しているように見えるのは気のせいか?)
砕牙「好きにすると良い」
我がそう言うと、○○は我の首に手を伸ばした。
ゆっくりと慈しむような手つきで我の毛を撫でる。
砕牙「○○……」
○○に尾で触れる。
それでも、○○は我から離れることもなく、毛を撫で続ける。
○○「……この姿の方が、何だか大きく感じますね」
(うぬは変わらぬのだな……)
砕牙「うぬが小さいだけであろう」
○○「そ、そんなことないです」
(人の姿の時となんら変わらぬやり取りだ……)
砕牙「ははは、そうむくれるな」
我はたまらずに、○○を抱き寄せた。
鼻先を○○の頭に摺りよせる。
砕牙「……うぬはやはり、興味深いのう」
(どうやら我は緊張していたようだ……)
(……うぬとの別れを覚悟していた)
(だが、うぬが我を恐れぬのなら、我は……)
砕牙「一緒に過ごすこれからの百年が、楽しみでしょうがないわい」
○○と共に生きられるのは、我にとって瞬く間の時間…―。
(だが我にはその百年が、長き時の中で、何よりも大切になるのだろう……)
瞳を閉じ、我は○○の温もりだけを感じていた…―。
おわり