翌日、夜…-。
私は砕牙さんに連れられて、水位が増しているという例の井戸の前に来ていた。
砕牙「なるほど。確かに強い妖力が宿っておる」
〇〇「どうされるんですか?」
砕牙「奢るつもりはないが……我も伊呂具の一族の長として、それなりに強い妖力は備えておる」
〇〇「もしかして、その妖力を使えば……?」
砕牙さんが、私の言葉を肯定するように静かに笑う。
砕牙「もともと早くこうすれば良かっただけの話なのだが」
何やら簡単そうに言う砕牙さんに、私は少しほっとした気持ちになる。
〇〇「良かった、方法があるんですね」
砕牙「ああ。ただ……うぬを怖がらせてしまうやもしれぬ」
砕牙さんはそう言うと、顎にそっと手を当てて何かを考えるような仕草を見せた。
砕牙「うぬに怖がられるのは、ちとつらい。 ……我としたことが、そんな情けないことで悩んでしまってな」
(私が怖がるって……どういうこと?)
砕牙さんの言っていることが理解できず、私は小さく首を傾げる。
そんな私を見て、砕牙さんは困ったように微笑んだ。
砕牙「実を言うとな……妖力を解放すると、元の姿に戻るのにちと時間がかかるのだ」
(元の姿って、今のこの姿のこと……?)
〇〇「時間って、どれくらいかかるんですか?」
砕牙「恐らく、うぬが生きているうちには戻れぬだろうな」
〇〇「……そんな!」
砕牙「だが……我は自国の民を救わねばならん」
砕牙さんがそう言った瞬間、その体から神々しい光の粒が一気に溢れ始めた。
(まぶしい……!!)
〇〇「砕牙さんっ!」
必死に目を凝らして、その姿を確認する。
(一体どうなってるの?)
その場から動けず、じっと立ち尽くしていると、光の力が少しずつ弱まっていくのがわかった。
(大きな……狐?)
段々と開けてきた視界に映ったのは、白く艶のある毛を全身に纏った大きな狐の姿…-。
その威厳ある存在感と迫力に、私は息を呑む。
〇〇「……砕牙さん」
砕牙「……」
狐の姿になった砕牙さんは低い声で何かを唱える。
すると、突然井戸の中から光が漏れ出して…-。
砕牙「っ……!!」
〇〇「っ!?」
激しい光の柱が、きらきらと輝きを伴って天へ向かって走っていく。
(綺麗……情熱的な天の川みたい……)
そうしてしばらく……すうっと光の川は消えていった……
砕牙「これで良い」
表情を変えずにそう言う砕牙さんに、私は急いで駆け寄る。
〇〇「砕牙さん……!」
砕牙「うぬ……我を恐れぬのか」
〇〇「そんな……とても綺麗です」
月明かりに照らされる整った毛並みがあまりにも美しくて……
〇〇「砕牙さんに……触れても良いですか?」
思わず、そう問いかけた。
砕牙「好きにすると良い」
私はそっと砕牙さんの首に手を伸ばす。
(柔らかくて……温かい)
ひとつひとつ感覚を確かめていると、ふと視線を感じて、私は砕牙さんの顔を見上げた。
(姿形が変わっても、砕牙さんだってちゃんと分かる)
さっきまでとは違う、大きくて鋭い獣の瞳。
けれど、その輝く翡翠の瞳の奥には、確かに砕牙さんの優しい温度がある。
砕牙「〇〇……」
砕牙さんの大きく長いしっぽが、私の腰にふわりと巻き付く。
(何だか、守られてるみたい……)
〇〇「……この姿の方が、何だか大きく感じますね」
砕牙「うぬが小さいだけであろう」
〇〇「そ、そんなことないです」
砕牙「ははは、そうむくれるな」
砕牙さんは私をぎゅっと強く抱き寄せると、あやすように鼻先を頭に擦りつけた。
砕牙「……うぬはやはり、興味深いのう。 一緒に過ごすこれからの百年が、楽しみでしょうがないわい」
それは私にとっては途方もなく長い時間で、砕牙さんにとってはほんの一瞬の時間……
(それでも……)
彼と過ごすこれからの時間に、幸せな未来を思う。
私はその温かさに体を預けるようにして、そっと瞳を閉じたのだった…―。
おわり。