翌日…―。
砕牙「我から離れるでないぞ」
○○「は、はい」
入るべからずと書かれた札を無視して、砕牙さんはどんどん森の奥へと進んでいく。
(大丈夫なのかな)
不安に思いつつも後ろに続いていると、私の考えを見透かしたように、砕牙さんが振り返った。
砕牙「案ずるでない。 ……この森には、伊呂具の国を創りし者が今も住んでいるとされている」
そう言うと、砕牙さんは輝くような翡翠の瞳をすっと森の奥へと向ける。
(あれは……!?)
私も同じ方向に視線を移すと、そこには神々しく光る狐の姿があった。
砕牙「姿を見せてくれたようだ」
(信じられない……)
砕牙「……伊呂具の天狐よ、我の願いを叶えてはくれぬか」
砕牙さんがゆっくりとその狐に向かって足を進める。
砕牙「このままでは、民達が苦しむことになってしまう」
砕牙さんは狐に向かってそう言うと、しばらくして何度かそっと頷いた。
(私には何も聞こえないけど……会話をしているの?)
砕牙「よい。我の求めるものは、永い時を生きることではない。 我が○○と同じヒトとなれば、呪いも効力を失うはずだ」
(……!)
○○「砕牙さん!」
私が名前を叫ぶと同時に、辺り一面が強い光に包まれる。
(この光は何!? 砕牙さんは……?)
どうしても閉じかけてしまう目を、無理矢理細めて砕牙さんの姿を探す。
砕牙「……」
すると、砕牙さんがいた場所だけ、ふわふわとした神々しい光りの玉が浮いているのが見えた。
(綺麗……)
思わず見とれていると、段々と霧が晴れるかのように、光が弱まってきた。
(あれは……砕牙さんなの?)
光りの消えたその場所には、先ほどまでとは違う……
耳も尻尾もない、私と同じ人間の姿をした砕牙さんがいた。
砕牙「これで、井戸の水量も元に戻るだろう」
○○「……っ」
私は思わず、砕牙さんの元へと駆け寄る。
○○「砕牙さん……人間に……?」
砕牙「うむ。これで、何千年も無駄に生きる必要は無くなった」
○○「私のせいで……」
涙がこぼれそうになったけれど、砕牙さんの指が、私の瞳に溜まった水滴を拭った。
砕牙「そのような顔をするでないと、何度も言うておろう。 ○○……我は今、うぬを抱きしめたい」
切れ長の目尻を、少し下げて笑いかける。
○○「はい……っ」
そう返事をすると、砕牙さんはさらに目尻を下げて微笑んで、ぎゅっと私を抱き寄せた。
砕牙「うぬは温かい……」
○○「砕牙さん、ごめんなさい」
砕牙「何を言うか。こんなに清々しい気分になったのは初めてだ」
砕牙さんはそう言うと、耳元にそっと唇を寄せた。
砕牙「うぬの体は収まりがよい。まるで我のためにつくられたようだ」
(そ、そんな言い方……恥ずかしい)
砕牙「ん? どうかしたか?」
○○「な、何でもありません」
砕牙「……○○」
○○「……何ですか?」
砕牙「昨晩うぬは、与えられた時間の中で幸せを見つけられたら、と言ったな」
○○「はい、確かに言いました」
砕牙「……我はもう見つけてしまったぞ」
○○「え?」
砕牙さんがそっと腕の力を緩めて、体を離す。
(砕牙さんの目、今までよりもずっとずっと優しい)
砕牙「○○、うぬと生きることこそが我の幸せだ」
○○「砕牙さん……私をずっと傍にいさせてくれますか?」
砕牙「うぬがそれを望むなら、喜んでそうしようではないか」
砕牙さんは柔らかく微笑むと、再び私を抱き寄せた。
背中を撫でる手のひらに、人間らしい体温を感じて、心の奥まで温かくなっていく。
砕牙「やはり、うぬは温かいな」
○○「砕牙さんも……とても温かいです」
砕牙「そうか、温かいか」
そう言うと、砕牙さんは指先でするりと私の首筋を撫でた。
○○「な、何ですか」
砕牙「どうした? 我は、ただうぬに触れておるだけだぞ」
○○「ん……っ、ふ、普通に触ってください」
砕牙「普通とは……難しいな」
砕牙さんはそう言うと、私の鎖骨に手を伸ばした。
○○「く、くすぐったいです」
砕牙「そうか、ここはくすぐったいのか」
○○「……っ」
ふと見上げた砕牙さんの顔があまりに嬉しそうで、私は再びその胸に顔を埋める。
(もう少し、このままでいたい)
まるで存在を確かめるかのように私の体をなぞる砕牙さんの手の感触を追いながら、私はその胸の中へ、心も体も委ねたのだった…―。
おわり