雨が、不安げに降り続く……
伊呂具に到着してすぐ、外が騒がしいことに気がついた私達は、微かな胸騒ぎを覚えながら、輿を降りた。
砕牙「……何事か」
そこでは人々が集まり、深刻な顔つきで何やら話し合っている様子だった。
(どうしたんだろう?)
すると、砕牙さんに気がついた人々が声を上げる。
従者「砕牙様がお戻りに!」
従者「さ、砕牙様っ! 大変でございます!」
駆け寄ってくる従者さんを前に、砕牙さんは動じることなく、手をそっと私の背に添えた。
砕牙「うぬは何も案ずる必要はない。大したことではなかろう」
安心させるような柔らかな声音が、すっと胸に染み込んでいく。
(やっぱり砕牙さんって、不思議な人……)
従者「砕牙様!」
砕牙「どうした、申してみよ」
従者「それが……トロイメアの姫君の手前、お話してもよろしいのか……」
砕牙「構わん。思慮深い姫君であるからな」
○○「……!」
(思慮深い……そう思ってくれているのかな」
砕牙さんの言葉に、私は自然に姿勢を正した。
従者「はっ、では失礼して……。 巡回中の者より報せが入りまして、古井戸の水量が急激に増えていると。 このままではと、民も騒ぎ始めており……」
砕牙「ふむ、例の古井戸か……何の、予兆か……」
砕牙さんが、いつも柔和な表情をやや険しくさせて、顎に手を当てる。
すらりと通った鼻筋に、聡明な瞳が深く澄んでいた。
砕牙「井戸を今しばらく調べてみるのだ。再度、報告をしろ」
従者「はっ、御意に」
従者の方が深く私にも頭を下げ、立ち去っていく。
○○「あの……大丈夫でしょうか?」
砕牙「問題ない。せっかく歓迎すると言うたのに、悪いことだ」
○○「そんな……私は構いません」
砕牙「そうか。優しいのう」
砕牙さんの瞳が、いっそう優しく細められた。
砕牙「大したことではない。その憂い顔は無用だ」
砕牙さんは念を押すように、私に言ってくれる。
砕牙「言ったであろう。伊呂具の霧雨も、うぬを歓迎していると」
○○「……」
胸に手を当てて、空を見上げる。
静かに降り続く雨が、私の心を落ち着かせてくれた…―。
…
……
それから…―。
砕牙さんの国に滞在する間、二人で過ごせる機会はとても多かった。
(きっと、砕牙さんが私のために時間を使ってくれているんだよね)
(安心できるし、それに……嬉しいな)
城の中でいろいろな話をしたり、城下を歩いたり、山について教えてくれたりと、やることは尽きない。
この日も砕牙さんは、伊呂具の案内をしてくれていた。
砕牙「そのように、我が国の土は歩きにくいか?」
砕牙さんは、驚くほど軽い身のこなしで、険しい道を駆けるように進んで行く。
○○「は、はい……ちょっと歩きづらいです」
案内してくれるのはとても嬉しいのだけど、輿で動く以外は伊呂具の道は険しく、私は進むことで精一杯で、砕牙さんの速さにはついていけなかった。
砕牙「ほう、そうだったか。では……」
砕牙さんの綺麗な手が、すっと私に差し出される。
○○「あ……」
この国に来た時に取った、不思議な感覚のする手……
砕牙「どうした? そんなに我の手が珍しいか?」
○○「い、いえ!」
慌ててその手を取ると、砕牙さんが優しく瞳を細めた。
砕牙「……細い手よのう」
慈しむように私の手を包む砕牙さんの手は、とても温かかった…―。