布に含んだ薬品を嗅がされ、意識が遠く薄れかける。
(ミリオンくん……)
彼の名を呼んだ、その時だった。
ミリオン「〇〇ッ……!」
私を呼ぶ力強い声が聞こえ、細い糸を手操るように意識を取り戻す。
ミリオン「お前は……」
メスキナ国の大臣を見て、ミリオンくんの表情が曇った。
ミリオン「〇〇に、汚い手で触れるな!」
メスキナ大臣「ええ、すぐにでもお返ししますよ。 シンセアが、我が国の隷属国となると調印を結ぶなら……」
(どういうこと……?)
ミリオン「っ……!」
差し出された書状を見て、ミリオンくんの瞳が激しい怒りをたたえる。
ミリオン「この内容は……昔、父が結んだ不平等条約と同じもの…―」
メスキナ大臣「おや、そうでしたか?偶然ですな」
大臣はとぼけるように答え、くっくと肩を揺らす。
メスキナ大臣「トロイメアの姫を守りたいなら、その書面にサインを……」
〇〇「そんなっ、馬鹿なこと言わないでください……!」
ミリオン「……〇〇」
私はミリオンくんに向かって、必死で声を届ける。
〇〇「忘れないで!ミリオンくんが守りたいのは、この国なんでしょう? だったら絶対にサインなんてしちゃ駄目……!」
ミリオンくんは私の声を聞きながら、痛みを耐えるようにぎゅっとまぶたを閉じる。
ミリオン「僕が、一番守りたいのは……」
それから、静かに呼吸を整えると…―。
震える手で、書面にペンを走らせた。
(そんな……)
〇〇「ミリオンくん……っ!」
子猫「にゃあー!」
その時、ミリオンくんの懐から子猫が飛び出した。
使者「な、なんだっ……!?」
驚く使者の顔に飛びつき、鋭い爪で頬を引っ掻いた。
ミリオン「〇〇っ……!」
使者の腕が緩んだ隙に、私はミリオンくんの元へ駆け寄る。
ミリオン「よかった……」
ミリオンくんは私をきつく抱き寄せ、額に唇を押し当てた。
〇〇「ミリオンくん……」
間もなく警備兵が到着し、メスキナ国の大臣達を取り押さえた。
…
……
それから数日後……。
私達は臣下の皆さんに、あの日の出来事をすべて打ち明けた。
ミスキナ国がシンセア国との不平等条約を狙い、王子の黒い噂を流したこと……。
ミリオン王子は誰よりもこの国の民を思い、すべてを捧げ尽していることを…-。
中立な立場である私の話を聞いて、皆はようやく安堵したようだった。
やがて、街中にも王子の黒い噂が真実ではなかったことが広がり、シンセアは以前のような活気を取り戻したのだった……。
…
……
ある夜のこと……。
私は灯りを落とした部屋で、ミリオンくんと二人静かに寄り添っていた。
ミリオン「まったく……お前が余計なことするから」
〇〇「……ごめんなさい」
ミリオン「そもそも、僕が何もしてないとでも思ってたわけ? ちゃんと記事の発行元をつきとめて、証拠だって潰す段取りはしてたの」
〇〇「な、ならそう言ってくれれば……」
ミリオン「……」
〇〇「ミリオンくん?」
ミリオン「お前が巻き込まれることだって想定してた。だから、何もするなって言ったのに…-」
〇〇「……本当に、ごめんなさい」
それきり、ミリオンくんは黙り込んでしまった。
月の光だけが、静かに部屋に差し込んでいる。
ミリオン「……別に、あれでもよかったんだ」
〇〇「え?」
ミリオン「あの時……国も名誉も、財産も……すべてを捨ててもいいと思った。 お前さえ、傍にいてくれるなら……って」
うつむいたミリオンくんの声が、微かに震えている。
〇〇「ありがとう……ミリオンくん」
ミリオンくんに向かい、そっと微笑みかけると……。
(え……?)
そのままソファに押し倒され、彼が私の瞳を覗き込む。
ミリオン「引っかかった」
〇〇「あ、あの……」
ミリオン「僕を心配させた罰」
ミリオンくんの潤んだ瞳で見つめられ、胸がきゅっと苦しくなる。
ミリオン「……お前がいなくなって、本当に心配したんだから」
そう言いながら、ミリオンくんが私のうなじに顔を埋める。
ミリオン「僕を心配させるなんて、〇〇くらいだよ。 ねえ……埋め合わせ、してくれるよね?」
(っ……!)
ミリオンくんの唇が、私の首筋を柔らかく食んでいく。
とても言葉にならず、甘い吐息が唇から零れ落ちる。
ミリオン「〇〇……。 これからも傍にいてくれるよね?……どんな僕であっても」
大胆に迫るミリオンくんの瞳には、天使のような純真さと、小悪魔のような悪戯っぽさが同居していて…-。
(こんな瞳で見つめられたら……)
胸を甘く打ちつける鼓動が、これは恋だと教えてくれる。
ミリオン「ふふっ……気づいちゃった。お前って、こういう僕に弱いんだね」
〇〇「なっ……」
ミリオン「……違うの?」
大きな瞳を潤ませられ、言葉に詰まってしまう。
(可愛い……それに)
(愛しい……)
いつの間にか、こんなにも強く惹かれていたことに気づく。
近すぎる体に、熱く火照った頬を意識しながら……
ミリオンくんを見つめ、こくりと小さく頷いてみせる。
すると、彼は嬉しそうに目を細め…-。
私の耳許へ唇を寄せ、囁くように告げた…-。
ミリオン「……ありがとう」
澄んだその声が、私の全身に広がっていった…-。
おわり。