その日の夜…-。
(誰もいない……よね?)
周囲を注意深く見回し、誰も居ないことを確認すると、私はこっそり城を抜け出した。
(紫珠さんに、桜花さんの呪いを解いてもらうようにお願いする)
(私には……それしかできない)
暗い森の中を進んでいくと、やがて森の奥深くに、紫珠さんの神殿が見えてくる。
(少し怖い……けど)
乱れた呼吸を整えて、声をかけようとしたその時…-。
音も無く、神殿の扉が開いた。
紫珠「いらっしゃることはわかっていました。中へどうぞ」
仄暗い微笑みをたたえて、紫珠さんが姿を現した。
紫珠「呪いを解いてほしい……そうですね?」
悠然と腰かける紫珠さんに緊張しながらも、私は目を逸らすことなく頷いた。
○○「どうか、お願いします。この通りです……!」
私は彼女に深く頭を下げる。
紫珠「頭をお上げなさい。一国の姫君ともあろうお方が」
紫珠さんの言葉に、頭を上げると……
紫珠「そんなに、桜花殿が大切?」
彼女の周囲の闇が、だんだんと濃くなっていく。
(怖い……でも、逃げちゃ駄目だ……!)
次の瞬間、彼女はふっと笑みを浮かべた。
紫珠「……」
何かの呪文を唱えると、目の前に薄紫色の妖艶な光を放つ液体が現れる。
○○「これは……?」
紫珠「これを飲めば、あなたは桜花殿の身代わりになることができます」
○○「身代わり……?」
紫珠「桜花殿の呪いや苦しみが、全てあなたに代わるのです」
○○「! それ……は」
紫珠「さあ、どうしますか? 長くは待ちませんよ」
くすくすと笑う彼女の言葉に、思考を巡らせる。
(これを飲めば……桜花さんを助けることができる)
(でも、私は桜花さんを好きになることができなくなる)
私の脳裏に、桜花さんの苦しそうな表情が浮かんでくる…-。
○○「……」
――――
桜花『初めてお会いした時から……私は……いけないことだと、知りながらも……』
―――――
○○「これ以上……桜花さんを苦しめたくありません」
紫珠「……」
ぎゅっと手のひらを握りしめた後、紫珠さんが持つ美しい液体に手を伸ばす。
その時…-。
桜花「○○さん……やめてください!」
振り向くとそこには、真っ青な顔をした桜花さんがいた。
○○「桜花さん……!」
桜花「窓の外からあなたが出て行くのが見えました……やはり、ここだったんですね」
桜花さんは紫珠さんと私の間に立ちはだかり、途切れ途切れに声を振り絞った。
桜花「あなたではない他の誰かに恋をして、それで……私が苦しまないなんてどうして決めつけるのです?」
そう言って、強く私を抱きしめる。
○○「桜花さん、いけません……! 体が!」
桜花「構いません!」
腕を振り解こうとしても、びくともしない。
桜花「○○さん、好きです」
桜花さんは悲しげに微笑み、私の額に唇で触れる。
けれど…-。
○○「……桜花さん?」
不意に、静寂が訪れる。
力が抜けた彼の体を支えきれず、そのままゆっくりと、床に崩れ落ちる。
○○「桜花さんっ……!!」
ほぼ絶叫に近い私の声が、夜の森を震わせる。
桜花さんは、息をしていなかった。
○○「う……そ……」
張り裂けるような胸の痛みが私を襲い、正常な思考ができなくなっていく
。
紫珠「恋は、辛いでしょう?」
やがて、紫珠さんがゆっくりと歌うように囁く。
私は、ただ呆然と眠る桜花さんを見つめていた。
紫珠「結ばれないと、悲しいでしょう?」
そっと、桜花さんの横に膝をつく。
そこで私は、正気を取り戻した。
○○「桜花さんに、近づかないで……っ!!」
紫珠さんは、私の叫びには構わず桜花さんに静かに視線を向ける。
紫珠「……桜花殿。命をかけて、ご自分の恋を守ることができたのですね」
そう告げると、彼の胸に優しく手をかざした。
途端、桜花さんの体が優しい光に包まれる。
(まぶしい……!)
やがて光がやむと……
すう、と、桜花さんが瞳を開いた。
○○「桜花さん!?」
桜花「私は…-」
ゆっくりと瞳を開き、私を視界にとらえて……
桜花「呪いが……」
そう、ぽつりとつぶやいた。
紫珠「ええ。呪いは、解けました」
紫珠さんが、彼の言葉の続きを引き取る。
紫珠「この呪いは、“命をかけて恋をした時”に解けるのです」
紫珠さんは、愛おしそうに桜花さんを見つめた。
紫珠「あなたの父上に裏切られた時、私は絶望しました。 この世に恋など……愛など、存在しないと思ったのです」
そして桜花さんの前に跪き、ゆっくりと頭を下げる。
紫珠「……教えてくれて、ありがとうございます。ちゃんと、存在するのですね」
桜花「紫珠殿……顔を上げてください。もとはといえば、父上が……」
紫珠さんは、ゆっくりと首を振った。
紫珠「国王様にお伝えください。申し訳ありませんでしたと。あと……本当に、愛していたと」
紫珠さんが、微笑む。
その笑顔は、この上なく嬉しそうに、そしてこの上なく悲しそうに見えた…-。
…
……
紫珠さんの神殿を後にして、私達は城へと帰路を急ぐ。
○○「紫珠さん、大丈夫でしょうか……」
夜明けまでに、紫珠さんは国を離れるという。
その方がよいだろうと笑った彼女は、どこか晴れ晴れとしているように感じた。
(呪をかけ続けていた彼女も、ずっと苦しかったんだ)
最後に彼女が見せた笑顔に、想いを馳せていたその時…-。
桜花「○○さん」
桜花さんが私の方に向き直り、息のかかりそうな距離まで近づいてきた。
○○「お、桜花さん……?」
桜花「あなたに、触れてもいいですか?」
○○「え……」
戸惑いつつも、桜花さんの強い眼差しに、私は小さく頷いた。
桜花「ありがとう……」
桜花さんの指が私の髪に触れ、頬に触れ、唇に触れていく…-。
桜花「ずっと、こうしたかった。 あなたの肌はこんなにも柔らかく、温かいのですね……」
桜花さんの瞳に、朝霧のような滴がにじむ。
桜花「望んではいけないことだと思っていました。 けれど、私はこうしてあなたに…-」
そう囁くと、優しく顎を持ち上げられて……
○○「ん……っ」
優しく唇を奪われる。
○○「桜花さん、待って……」
桜花「もう、待てません」
口づけが、どんどん熱を帯びていく。
桜花「○○……愛しています」
私を抱くその腕は、とても逞しく感じられて……
桜花「もう一度……」
求められるままに、私は彼の身に委ねる。
(こんな桜花さん……初めて)
やがて、彼の唇が今度は私の首筋に落とされる。
○○「ん……っ」
桜花「ふふっ……どこまでも、可愛い人」
春の訪れに、草木が生命力に満ちていくように……
桜花さんからいっぱいの愛を注がれて、私はこの上ない幸せを感じていた…-。
おわり。