このワンダーメアには存在しないクリスマスを口実にして、
○○嬢と過ごしたひと時だったが…ー。
○○「ごめんなさい…私、何も気づいてないみたいで。 どうか教えてはもらえませんか?」
お嬢さんの口から伝えられたのは、私にとってはいささか残念な言葉だった。
(やはり○○嬢は本当に気づいておられない…)
(これは少々遊び心が過ぎたようですね)
これまでの会話に秘密裏に隠した言葉を胸に思い描けば、微かな虚しさが胸を撫でる。
それでも彼女の問いには答えずに指だけを動かし帽子を仕立て上げた。
マッドハッター「さあ、お嬢さん、それでは私のクリスマスパーティにご招待しましょう」
○○「え、パーティって…」
マッドハッター「…はい、君のためだけに私が用意しました。開催日は本日です」
仕上がった帽子を被ったお嬢さんは鏡の中で首を傾けた。
私はそんなお嬢さんの手を取って、イルミネーションで飾りつけた自慢の空中庭園へと案内したのだった。
粉雪の降る庭園はこのビルがまとう不思議な力で適温に保たれている。
○○「やっぱりここだけ、寒くない…?」
天から降り舞い落ちた雪を掌で受け止めて彼女が口にする。
その瞳がパーティの準備が整ったテーブル見て恍惚と細められた。
○○「素敵…」
テーブルの上に並ぶのは、私が○○嬢のために用意した。
クリスマスのない不思議の国なりの、クリスマスディナーだった。
マッドハッター「お嬢さん、君はどうぞこちらの席に」
バラとイルミネーションに囲まれたテーブルへ座らせると、
○○嬢の瞳が特別な時間を前に輝いた。
マッドハッター「では、二人でディナーを…」
背の高いグラスへ先日買った紅茶を注いで二人で傾ける。
お揃いのグラスが重なると高い音が響いて、グラスの中で泡が弾けた。
○○「っ、これって…スパークリングティー?」
紅茶を口に含んだ○○嬢が驚きに目を瞬かせた。
マッドハッター「このような楽しみ方もなかなか洒落てるでしょう?」
目を柔らかに細めて、香り高い紅茶の入ったグラスを揺らす。
すると彼女は、もう一度あたりを、見渡して…ー。
○○「でも…私、意外でした。パーティというから、もっと大勢の方が呼ばれる本格的なものかと…」
マッドハッター「…まさか!」
思ってもみない言葉に私はつい肩を揺らせて笑ってしまった。
(本当に面白いお嬢さんだ)
彼女の言葉や行動は、長い時を生きてきた私をも時折はっとさせる。
(だからこそ私は君を…ー)
(けれど君は、そんな私の心に気づかない…)
マッドハッター「君とのひと時をわざわざ邪魔されるようなことをしてどうするのです? どうやらお嬢さんは、まだ私の真意をわかっていないようですね?」
瞳を伏せれば、若かりし頃のような気持ちを抱く自分が寂しくなった。
(この想いを言葉にして君に伝えるのは確かに簡単でしょう…)
(しかしそれでは私としても面白くないし、少々世界を知りすぎてしまいました)
私は形のいい眉を寄せる彼女へ向かって笑みを深くした。
マッドハッター「教えて差し上げてもよいですが、ご自身で見つけられないのならば代償を一ついただきましょうか?」
○○「…それは私に払えるものでしょうか?」
マッドハッター「もちろん。 私は、○○嬢からのキスをいただければと」
○○「キス!?」
私の紡いだ言葉に彼女は期待通りの反応を返した。
頬がほのかに桜色に染まっていく様子がなんとも愛らしい…
マッドハッター「あいかわらず初心な方だ…!」
私は席から立ち上がると彼女の元へと近づいた。
マッドハッター「どうぞ、お嬢さん?」
○○「は、はい…」
軽くつむられたまつ毛が緊張で揺れている…
たっぷりと逡巡する時間があって、やがて彼女は私の頬へと口づけた。
マッドハッター「奥ゆかしい方だ。唇にしてくださっても構わなかったのですが?」
○○「…っ!」
ゆるりと微笑み、ことさらに低い声で○○嬢の耳へ囁く。
マッドハッター「そんな君だから、私は愛おしく思ってしまうのですよ…?」
私はお嬢さんの背に手を伸ばし、その背筋をくすぐるようにして、戸惑う唇にキスを落とした。
柔らかな唇を楽しみ、彼女を甘やかな夢へと誘う。
今はまだ閉じた蕾のように純な心を開かせるように…
(君がいつの日か、私の本気に気づくその時まで…)
(やはりこの言葉は秘密にしておきましょう)
だからその時まで、どうか。
ーー愛しき人よ、願いは傍に…
おわり