部屋中にオレンジの爽やかな香りが広がっている。
(だんだん上手くなってきたかな)
ワッフルの焼き上がりが待ち通しくなった、その時…-。
サイ「……!?」
良い香りが一転、焦げ臭い匂いが部屋中を包み出す。
サイ「もしかして……!」
僕は慌てて匂いの元凶へと向かう。
オーブンで焼いていたオレンジピールのワッフルを、見事に焦がしてしまった。
サイ「ああ……また失敗した」
翌日の文化祭で、僕は○○にサプライズを考えていた。
(○○が一緒に練習してくれなかったら、ここまで頑張れなかった)
お礼に彼女に何かできることはないかと頭を悩ませて、
この文化祭のためにずっと練習してきた、『執事』になりきってもてなすことを決めた。
サイ「ワッフル作るのって、難しいな……」
黒く焦げてしまったワッフルを見つめて、深いため息を吐く。
(ちゃんと美味しいワッフルを作って、○○に食べて欲しい)
サイ「……もう一度作ってみよう」
○○が、幸せそうな笑顔を浮かべながら食べている顔を思い浮かべる。
彼女のその表情を見たいという気持ちが、僕を突き動かしていた…-。
…
……
それから何度も何度も作り直しているうちに、気付いたら夜が明けていた。
そして、ついに…―。
サイ「できた……!」
ワッフルは綺麗な焼き色がつき、オレンジの香りがふわりと鼻腔をくすぐった。
(一体、何回作り直したんだろう……でも、間に合ってよかった)
何度も生地を混ぜたりしていた手に、じんとした痛みを感じる。
サイ「っ……」
(こんなに必死になったのは、お礼のためだけ?)
微かな痺れが残る手をさすりながら、僕は自分に問いかける。
(いや、違うかな……)
失敗する度に何度も頭に過ったのは、○○の可愛い笑顔……
(この気持ちは、やっぱりそうなのかな)
心の奥の柔らかい場所が、ぎゅっと締め付けられたのがわかった。
…
……
そして、文化祭当日…-。
喫茶店の一部をカーテンで仕切った場所に、僕は○○を招待した。
サイ「オレンジピールのワッフルです。こちらの紅茶に合う甘さになっております」
手の痛みも、何度も作り直したそぶりも見せずに、僕は執事になりきって、凛と澄ます。
○○「いい匂い……サイさん、いただきます」
○○が、ワッフルの欠片をひとつ口に入れる。
その瞬間、彼女の顔に満面の笑顔が咲いて……
(僕は、この笑顔が見たかったんだ)
僕も自然と、笑っていた。
○○「紅茶とよく合って、とても美味しいです」
サイ「ありがとうございます。すべて、お嬢様のご提案のおかげです」
(あっ……)
見れば、彼女の唇にクリームが付いていた。
(……子どもみたい)
微笑ましい気持ちになりながらも、僕はそんな彼女に触れたくてたまらなくなる。
サイ「……! お嬢様、失礼いたします」
彼女の唇に自分の唇を薄く重ねる。
サイ「唇に……クリームが付いておりましたよ」
○○「あっ……」
○○は、目を丸くして驚いている。
(僕のお嬢様は……本当に可愛らしい方だ)
(でも……)
サイ「でも……よく考えたら、執事ってこういうことしちゃいけないのかな」
今更すぎるその考えに、クスリと笑みが漏れる。
(だとしたら……)
サイ「駄目だな……○○の前では……」
(僕は君の執事にはなれない)
(だって、僕は君と……)
彼女を見つめると、視線が交わる。
周囲は喧騒に包まれていたが、僕達だけの世界がそこにあった。
甘いケーキと紅茶の香りに包まれながら、僕はもう少しその世界の中に浸りたいと思ったのだった…-。
おわり。