マルタンさんはマスターと言葉を交わした後、テーブルに着くと、ダーツボードの前でダーツを構えた。
すっと目が細くなり、真っ直ぐに飛んだダーツがボードに刺さる。
マルタン「……ダブルか」
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マルタン「君は、ダーツはやらないのかい?」
○○「はい、やったことがなくて……」
マルタン「そうなのかい、ならいつか君に教えてあげられたらな」
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(今日は、マルタンさんと過ごせる最後の日……)
何度かためらった後に、私は勇気を出してマルタンさんに声をかけた。
○○「あの……マルタンさん。私にもダーツを教えてくれませんか?」
マルタン「……○○ちゃんに?」
ダーツを構えたまま、彼がかすかに目を見開く。
マルタン「いいね、是非に。一緒に楽しもう」
○○「はいっ」
ひときわ明るい声を出すと、バーカウンターにいるマスターが私を見て微笑んだ。
手招きされて、マルタンさんの立つスローイングラインの前に移動した。
マルタン「○○ちゃん、ダーツの経験はないんだったね?」
○○「はい」
マルタン「よし、なら始めは軽い気持ちで投げてみよう」
マルタンさんは、丁寧に私にダーツの投げ方を教えてくれた。
彼を手本にして、私はどきどきしながら初めてのダーツを投げる。
だけど…―。
○○「あ……」
一本目のダーツは的にすら当たらず、弾かれてしまった。
マルタン「惜しい惜しい、最初は誰だってそんなもんだよ」
○○「難しいですね……」
マルタン「ははっ、大丈夫だよ。どれ少し狙う場所を変えてみよう」
そういうとマルタンさんは……
○○「あっ……」
彼の大きな手が、姿勢を正すために、私の腰元に触れる。
ぐっと抱き寄せられて、マルタンさんの甘く軽やかなブランデーの香りが鼻先を掠めた。
マルタン「初心者は的の左下を狙うと良い。こうして目と腕と的を一直線にして……」
低い声が、私の耳をくすぐる。
ただそれだけのことなのに、心臓は高鳴り始め、ダーツを持つ指が震える。
マルタン「いけないな、○○ちゃん、君、緊張してるだろ」
○○「えっ……」
どきりと、大きく胸が鳴った。
(見透かされてるんだ。恥ずかしい……)
マルタン「もうちょっと、力を抜いて?」
○○「は……はい」
(駄目だ……落ち着けない)
心臓の音にまで気付かれてしまいそうで……
(どうすればいいの……?)
頭の中が、混乱し始めてしまう。すると……
マルタン「……っ、くくっ」
○○「え……?」
耳元に、彼の忍び笑いが聞こえてきた。
マルタン「……そんな意識されたらたまらないな」
○○「なっ!?」
(もしかして……わざとだったの?)
私の真横で、可笑しそうに喉を鳴らすマルタンさんに、視線を的から移す。
○○「か……からかってるんですか?」
マルタン「君次第、かな」
低い声で囁くと、彼の唇はダーツを構える私の指先に、柔らかいキスを落とした。
○○「……っ!!」
突然の出来事に、私は言葉すら出すことが出来なくなってしまう。
○○「あ、あの……」
頬を熱くさせながら、私は瞳を瞬かせることしかできなかった。
マルタン「はは……っ、君は本当に可愛らしいな」
からかうように笑うと、彼は見入るように私の瞳に視線を合わせた。
優しげな目元は年下の私を包み込む様な慈しみに満ちていて……
マルタン「別に、会いたかったらいつでも会いにきてくれていいんだ。君が俺の元を訪れる度に、俺は君を迎え入れるよ」
耳元で囁かれたと思うと、私の手に骨ばった彼の指先が重ねられて……
○○「あ……っ」
投げられたダーツは、的の中心に決まった。
マルタン「うん……君に決めるのも悪くないかな」
掠めるように彼の唇が私の頬を辿り、耳に囁きを注ぎ込む。
○○「……っ」
思わず腰が砕けそうになると、私の腰を抱くマルタンさんの手にぐっと力が入って、しっかりと抱きとめられた。
マルタン「本当に可愛いね。こんな感覚、久しぶりだ」
○○「ま、マルタンさん!ほんとに、からかわないでください……」
マルタン「からかってないさ、俺は本気だからね」
そう囁く彼の声は耳に心地いい。
その声を頭の中で確かめるようにして繰り返す。
マルタン「さあ、君の答えは?」
彼のフレグランスの香りが、頭と心を刺激する。
マルタン「聞かなくても、わかってるけどね」
○○「マルタンさ…―」
私が返事をするより早く、マルタンさんの口づけが落とされる。
甘く深い、ブランデーの様なその口づけに……私の心は、とけていった…―。
おわり