マルタンさんが私を宿に送り届ける頃には、空はすっかり夜に染まっていた…―。
マルタン「今日も素敵な一日をありがとう」
○○「こちらこそ」
(まだ、話してたいな……)
気持ちを押さえつけるように胸元で手を握った、その時…―。
マルタン「そうだ、○○ちゃん、これ受け取ってくれるかな?」
○○「え?」
マルタンさんに手渡されたのは、黒地の小さな紙袋だった。知らないブランド名が、金色で小さく刺繍されている。
○○「これは?」
マルタン「フレグランス。……君と過ごしたこの数日間で、ずっと考えていたんだ、君に似合う香りは何かなって。気に入ってもらえると嬉しいね」
○○「ありがとうございます……!すごく、嬉しいです」
マルタン「ああ……じゃあね、また明日」
さりげなく別れの挨拶に手の甲へキスを落として、マルタンさんは部屋を去って行った。
…
……
一人残された部屋の中で、胸を高鳴らせながら包みを開ける。
○○ 「……かわいいな」
包みから姿を現したのは、細身の落ち着いた雰囲気のボトルだった。
(明日、これをつけてマルタンさんに会おう。彼と過ごせるのは、最後になってしまうけど……)
別れの切なさに、胸が痛むまま私は眠りについた。
翌日…―。
私は彼から貰ったフレグランスを身にまとって、約束した庭園を訪れた。
咲き誇る花の香りに混じる、彼のくれたフレグランス……
(でもこの香り、どこかで……?)
マルタン「お待たせ、○○ちゃん」
○○「あ、マルタンさん……!」
その時、風がそよいで、マルタンさんからフレグランスがほのかに香った。
(この香りは……私のフレグランスと同じ香り?)
そう気付いた時、なぜだか頬が熱を帯びた。
マルタン「つけてきてくれたんだね」
○○「あの、これって……」
マルタン「気付いたかい?」
マルタンさんの笑みが深くなる。彼は私の耳元に手をかざして囁いた。
マルタン「そう、俺が使ってるのと同じ」
○○「ど……どうして?」
マルタン「……」
不意に、マルタンさんが被っていた帽子を下ろして……
私の後ろに回り、背後から私を抱きすくめた。
○○「マルタンさん……!?」
今度はもっと強く、私と彼の香りが辺りに漂う。
マルタンさんは、下ろした帽子で口元を周りから隠すようにして……
マルタン「俺は君の事が好きだから」
○○「……!」
フレグランスを付けた首筋に、吐息を感じたかと思うと……。
彼の熱い唇が、そっとその場所に触れた。
マルタン「離れている間に変な虫が付かないように。俺の事を忘れないように。ね?」
○○「ま、マルタンさん……」
声が震えて、心臓がうるさいくらいに胸を叩く。
(どうしよう……今、私、すごくドキドキしてる)
覚束ない唇で彼の名前を形作っては、声に出来ないままそっと視線を落とす。
○○「……」
マルタン「沈黙は……イエスの代わりだと思ってもいいよね?」
マルタンさんは確かめるように香りを吸い込むと、もう一度私の首筋に口づけた。
それは深く甘い、大人のキス……
○○「……っ」
甘い口づけに、夢の中へ誘われるようで……。
そっと、私を抱くマルタンさんの腕に手を触れた。
マルタン「いい子だね……」
彼と私の香りが、辺りを彩る花々の香りに混じる。
この甘く心地良い時間が永遠に続くといいと、そう思いながら……
私は彼に身を委ねた…―。
おわり