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ネペンテス『私も、あなた様の心意気に報いなければ……。 どうか、私のとっておきをご賞味いただきたい!』
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ネペンテスさんに連れられてやってきたのは、深い森の深淵部だった。
得体の知れない生き物の気配が、繁みの奥から聞こえてくる。
(不思議な場所……)
少しだけ怖さを感じて、前を歩くネペンテスさんの服の裾を掴む。
ネペンテス「そんなに怯えなくても大丈夫ですよ、私がついています。 もう少しで目的地に着きますから」
震える私の手を、ネペンテスさんが握ってくれる。
〇〇「はい……」
ひんやりとした体温に人離れしたものを感じたけれど、今はその手が頼もしく思えた。
しばらく歩いて、大木のアーチを抜けると…―。
森の中にそこだけぽっかりと穴でも空いたような空間に出た。
ネペンテス「さあ、ここです。 では、これからあなた様に私のとっておきの美食を堪能していただきましょう!」
声高に彼が宣言すると、辺りに甘やかな匂いが漂い始めた。
〇〇「この香りは……?」
それは百科蜜のようなさまざまな華やかさが混じった、甘い甘い匂い……
見れば、彼の手にはコルク栓を抜いた小さなボトルが握られている。
〇〇「ネペンテスさん、それは?」
ネペンテス「これは私のこれまでの研究で編み出した……いえ、詳細は話さない方がよいでしょう。 それよりも見ていてください」
彼はそのボトルを逆さまにして、その場に中身の液体を振りまく。
甘い香りがさらに色濃く広がると…―。
〇〇「こ、これは……!?」
どこからか、美しい蝶の群れが姿を現した。
この世の極彩色を一身にまとったような不思議な色の美しい蝶……
その大群が、彼の撒いたボトルの匂いに誘われて、次から次へと集まってくる。
ネペンテス「さあ、ご覧ください! この素晴らしき蝶の数々を!」
〇〇「綺麗……!」
(まるで宝石がそのまま飛んでいるみたい……)
その幻想的な美しさに、思わず見入ってしまう。
すると……
ネペンテス「ふふ……美味しそうでしょう?」
〇〇「え……?」
ネペンテスさんが、美しい蝶に手を伸ばした。
その表情は恍惚とし、今にも目の前の蝶を捕まえ食べてしまいそうで……
〇〇「こ、この蝶達を、まさか……?」
私の疑問に、彼は妖しい微笑みで応える。
ネペンテス「私はこの世界の万物をすべて食してみたいのです。 そう、この世には二つしか存在しないのです。それは美味しいものと美味しくないもの! 王子などに選ばれてしまったものの……いつか城を出て、究極の一品に出会いたい。 それが、私の生涯の望み……!」
熱く語られる彼の夢……
だけどそれは私には理解も及ばないものだった。
(なんだか、怖い……)
〇〇「……」
何も言えなくなり、思わず後ずさりする。
すると…―。
〇〇「あ……っ」
ネペンテス「逃がしませんよ、〇〇?」
彼の手が強く、確実に私の手を捕えた。
まるで罠にかかった獲物を捕らえる捕食者のように……
ネペンテス「長らく生きてようやく見つけた至高の存在……。 私はそんなあなた様と、この世のすべてを食らい尽くす旅に出たい。 そして、いつかあなた様が熟す、その時まで…―」
囁かれる熱っぽい声に、少し背筋が寒くなる。
けれど、夢を語るネペンテスさんの瞳は力強く輝きに満ちていて…―。
〇〇「……」
私は、掴まれた手を振り解くことはできなかった。
ネペンテス「ふふ……ですから、その時が来るまで、今しばらくどうか私の傍に……」
〇〇「……っ」
彼の顔が近づいて、耳元へ甘く囁かれる。
吐息がかかり、思わず体を震わせてしまうと……
ネペンテス「可愛い方……」
恍惚な表情を浮かべ、ネペンテスさんが私の髪を指に巻きつけ、頬を舐める。
〇〇「……!」
舌が触れた部分が熱を持ち、妙な感覚を覚えてしまう。
(どうして……体が、動かない)
その間にも、美しい蝶は次々と飛来し、私達を取り囲んでゆく。
幻想的な風景と甘い香りに、私の心は溶かされていった…―。
おわり。