潮風が、頬をさらりと撫でる…―。
ロッソさんの船、バレナロッサ号での航海は予期せずに始まりを告げた。
どこまでも続く広大で美しい海原を、ぐんぐん風を切って進んで行く。
ロッソ「今日は風も最高だな」
(悲しそうな顔をしていたけれど……今はまた、楽しそう)
鼻歌でも歌い出しそうな横顔に、ひとまずほっと安心をする。
ロッソ「よし! そろそろ食料調達の時間だな。腹の虫もじき鳴き始める」
ロッソさんは軽快な声音で言うと、操舵席から離れて何やら準備を始めた。
〇〇「何をするんですか?」
ロッソ「言っただろ。食料を釣るんだ。 この船も今じゃ船員も少ねえし、王子でもあり船長でもある俺が、率先して調達しねえとな」
〇〇「そうなんですね。大変そう……」
ロッソ「なあに、どうってことねえ。 すぐに大物を釣り上げて、〇〇にも食わせてやるからな!」
意気込むロッソさんは、このボロボロな船とは対照的に、快活な笑みを見せた。
(最初は本当に幽霊だったらって思ったし、怖かったけど……)
(こうして見ると、明るくて素敵な人だな)
その後ロッソさんは、意気揚々と釣り竿を操って釣りを始めたのだった…―。
…
……
それからしばらく…―。
ロッソさんの垂らした釣り糸は、ぴくりとも動く気配を見せない。
ロッソ「んー……」
ロッソさんは竿を持ったまま空を見上げ、首をぐるりと回したかと思えば……
ロッソ「こりゃ今日は長期戦になりそうだな。ふて寝だ、ふて寝」
と、竿を立てて、甲板にごろりと寝転がってしまった。
ロッソ「〇〇も来い。ここで横になると気持ちいいぜ」
にっと笑いながら言うロッソさんに、私は……
〇〇「でも……」
横になることにためらってしまうと、ロッソさんはやや意地悪そうな顔で私を見た。
ロッソ「幽霊船の甲板も悪くないもんだぜ? うっかり寝てたところで、本当に幽霊が出たりはしねえから安心しろよ」
〇〇「……!」
愉しげに笑われてしまい、恥ずかしさに頬が少し熱くなる。
そんな気持ちを振り切るように、私は慌ててロッソさんの傍へ近寄った…―。
ロッソ「ほらここ。横になってみろよ。すげえ気持ちいいから」
〇〇「はい……」
ロッソさんと並んで、甲板の上に横になる。
(床、冷たい……でも、景色が一気に変わって……)
高い空と海、それに風にはためく帆ばかりが視界に入ってくる。
(気持ちいい……!)
ロッソ「こうしてるとな……いろんなことを思い出すよな」
〇〇「え……?」
ロッソ「昔はな、けっこう派手にやり合ったもんだ。この海の上で……」
〇〇「……悲しいことですか?」
その表情に胸のざわつきを覚えながら、問いかけると……
ロッソさんは、その時のことを思い出すように苦笑いをした。
ロッソ「さあ、どうだろうな」
それからロッソさんが、静かに語り始めてくれる。
ロッソ「昔の俺は、アンキュラの海で、他の海賊達と領土を巡って争っていたんだ」
〇〇「海賊……だったんですか?」
ロッソ「ああ、海賊の船長ロッソ様だ」
にっと少し悪い顔を作って、ロッソさんが私に笑いかけるけれど……
(どうして……)
少しだけおどけた様子にも、やっぱりどこか切なさを感じてしまう。
ロッソ「だけど今は……この船と、ドッグ代わりに使っている小島だけが、俺の領域だな。 今でもあいつらと喧嘩はする。けどまあ、本気じゃねえよ……。 別に、嫌いなわけでもねえ。ただの喧嘩だな、しょうもねえ……」
ロッソさんが、言葉を遠くへ置いてくるように静かにつぶやき……
潮風に吹かれながら、そっと目を閉じる。
ロッソ「まあ、あれだ。 ずっと海の上にいりゃあ、考える時間が腐るほど……いや、売るほどある。 だからこうしていろいろと考えちまうんだろうな」
〇〇「ロッソさん……」
ロッソ「〇〇は、バレナロッサ号の久々の客だ。 暇つぶしになるし、歓迎するぜ!」
〇〇「暇つぶし……!」
ロッソ「くくっ、そうだ、膝枕してくれよ。たまには人肌が恋しくなるってもんだ」
(……からかわれてる?)
屈託なく笑うロッソさんを、しばらくじっと見つめていたけれど……
ロッソ「……な、頼むよ」
〇〇「……」
どこか切なく、求められるような声でそう言われると、断ることができなかった。
身を起こすと、すかさずロッソさんは私の膝の上に頭を乗せた。
〇〇「っ……」
私の膝の上で、ロッソさんの髪がさらりと流れる。
ロッソ「うん、気持ちいいな」
満足そうに微笑む彼の顔が近くにあって、ドキリと鼓動が高鳴った。
そのまま、ロッソさんは幸せそうに目を閉じて……
ロッソ「~♪」
愉しげな彼の鼻歌は、夕焼けに染まった空に切なく響いたのだった…―。