第3話 桜の花弁

昼食時を迎え、街にはいい匂いが漂い始めている。

楓「街の桜はまだ咲いていないけど、山の方なら桜が咲いているかもしれない。 この辺りでは、山の桜の方が早く咲くからね」

○○「そうなんですね……」

楓「少し歩くけど、行ってみようか?」

○○「行ってみたいです」

満開の桜を思い浮かべながら、楓さんを見上げた。

けれど楓さんは訝しげな顔をしている。

楓「君、俺に合わせてない? 本当にそう思ってる?」

○○「もちろんですよ。 桜、とても楽しみです」

そういう私に、楓さんはいつもより少しだけ穏やかな眼差しを向け……

楓「へえ、そんなに楽しみなんだ。じゃあ、行こうか」

彼は私の背を軽く叩き、歩き出す。

……

楓「あ、ちょっと待って」

しばらく歩いてから、楓さんは画材屋の前で立ち止まった。

楓「最近顔を見せていなかったから、少し寄ってもいい?」

○○「はい」

店に入った瞬間、絵の具の独特な香りが鼻をかすめる。

店内には、絵の具や麻紙などが所狭しと置かれていた。

(すごい……)

楓「久しぶり。いい画材、入ってる?」

楓さんは店頭に並んだ絵の具を手にし、店の奥にいた店主さんに話しかけている。

彼を待つ間、私はさまざまな色の染料が並ぶ棚を眺めていた。

すると……

??「ねえ、お姉ちゃん」

不意に呼びかけられ、後ろを振り返る。

するとそこには、お絵かきをしている二人の男の子の姿があった。

(画材屋さんのお子さん達かな?)

男の子1「お姉ちゃん、桜ってどんな花だっけ?」

○○「え……」

男の子が広げている紙を覗き込むと、そこにはチューリップのような花が描かれていた。

男の子2「こんな感じだよね?」

○○「少し違うかなぁ……」

男の子2「えっ……?」

男の子は今にも泣き出しそうにうつむいてしまう。

○○「あの、よかったら、私が描いてみようか?」

男の子2「本当!?」

目を潤ませた男の子が、ぱっと笑みを浮かべた。

○○「えっと……実は絵を描くのってすごく久しぶりで、自信はないんだけど……」

きらきらと輝く二人の目に見つめられながら、桜色の色鉛筆を紙に滑らせる。

○○「確かこんな形だったような……」

記憶をたどりながら、ゆっくりと手を動かす。

けれど……

(あれ……うまく描けない)

そこには、頭で考えていた花とは違う形のものが描かれていた。

男の子1「えー、こんなのじゃないよー」

男の子2「うん、違うね~」

子ども達は笑いながら、私が描いた桜を覗き込む。

○○「えっと……」

(どうしよう……)

楓「……仕方ないな」

○○「え?」

背後から声が聞こえ、振り返ろうとした時…―。

ふわりと、楓さんの腕が私の肩に回された。

大きな手が私の手を包み込む、色鉛筆を動かしていく。

楓「本当に桜を見たことがあるの?」

耳元で楓さんの低い声が響き、胸が高鳴る。

そうして少しの後、楓さんは流れるように桜の花弁を描き上げた。

男の子1「わあ、すごい!」

男の子2「これ、桜だぁ!」

男の子1「ありがとうー!」

楓「どういたしまして」

○○「あ、あの」

楓「ん?」

○○「手を……」

楓さんに包まれたままの手を見つめ、思わず口ごもる。

すると彼は背後から私を覗き込み、口元に微笑を浮かべた。

楓「どうしたの? 顔が赤いよ」

○○「だって……」

楓さんの視線から逃れるように、顔を伏せる。

楓「真っ赤になっちゃって」

楓さんは嬉しそうに声を弾ませた。

楓「わかったよ。今日のところはこれぐらいで許してあげる」

楓さんは私から体を離すと、店主さんと談笑を始める。

(もう……)

私は、熱くなった耳にそっと触れ……

少し落ち着かない気持ちを抱えながら、楓さんの笑い声を聞いていたのだった…―。

 

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