静まり返った室内で、窓を揺らす風の音がひどく大きく聞こえる…-。
イラ「ナイフと針はまだですか? 私はあまり気の長い方ではないのですよ」
イラさんの冷たい微笑みが場を支配し、皆一様に凍ったように動けずにいる。
(イラさん……?)
イラ「おや、護衛の皆さんは随分と愚図でいらっしゃるのですね?」
護衛「ひっ!!」
護衛の方が、慌てて駆けていく。
すぐに戻って来たその人の手には、ナイフと長い針が握られていた。
(まさか、本気で……!?)
〇〇「やめて……! やめてください。イラさん、どうしたんですか!?」
イラ「別に、どうもしませんよ? ただあなたを害した者に罰を与えようとしているだけです」
にっこりと微笑むイラさんの声は氷のようで、私は思わず逃げ出したくなる。
〇〇「罰なんて……! 私、大丈夫です。別に傷つけられたりしていませんから」
イラ「あなたは優し過ぎるのです。あなたは、あのように不躾な言葉を浴びせられてよい方ではない」
イラさんは、私を諭すように微笑む。
イラさんは、護衛の方からナイフを受け取る。
(だめ……! 止めなきゃ!)
受刑者達が転がるように教室を飛び出していく。
どうしていいかわからずに、私はイラさんの背中に抱きつき、必死に引き止めた。
イラ「な……!?」
ナイフが床に落ちる音がして、イラさんがこちらに振り返った。
(イラさん、やめて……! 元のイラさんに戻って……!)
恐怖のあまり声が出ない代わりに、イラさんを抱く腕に力を込める。
イラ「あ……ぼ、僕は……」
先ほどまでの冷たい声ではなく、柔らかなイラさんの声が聞こえる。
イラ「ごめん……!」
イラさんは、私の腕を振りほどき、教室の外へと駆けていった。
〇〇「イラさん……!」
執事「〇〇様、どうぞイラ様をしばらくお一人に……」
執事さんに引き止められ、私は遠ざかっていくイラさんの背を見送る。
執事「さぞ驚かれたでしょう」
〇〇「い、今のは……?」
(別人みたいだった……)
(……怖かった……!)
自分の体を抱きしめて、初めて自分が震えていることに気がついた。
執事「お止めできず、申し訳ございません。 イラ様は……イラ様の王家の皆様は、生まれついて激しい憤怒の情を持っていらっしゃるのです」
〇〇「憤怒の情……?」
(あんなに穏やかな方なのに……)
執事「ええ。ですからイラ様は、幼い頃から憤怒の情を抑えるために厳しい躾を受けていらっしゃいました。 ご自身も、憤怒の情を克服しようとそれは努力されて……いつもご自分を厳しく律しておいでで」
(律する……そういえば……)
―――――
イラ『本当は僕が牢に繋がれた方がいいくらいだ。あそこでは、すべてを律するルールがあるから』
―――――
(あれは、そういう意味……?)
執事「最近では、イラ様は二度までご自身の憤怒を制御することができるようになられたのです」
〇〇「二度まで……」
執事「ええ。一度目は普段通りの口調、二度目はやや丁寧にお怒りになる……」
(そういえば……)
執事「二度のお怒りで事態が改善されなかった時には……。 ご覧になった通りです。口調は非常に丁寧なまま、憤怒の情に飲み込まれてしまわれるのです。 あれは、憤怒に飲み込まれながらもご自分の憤怒を抑えようとなさっているのでしょう」
〇〇「もしかして、それが……『3度目のイラ様』ですか?」
執事「近しい臣下はそのように呼ぶこともございます。 もうおわかりかと思いますが……どうか、イラ様に何か言われた時は必ず従ってくださいませ。 私共では、イラ様の激しい憤怒をお止めすることができないのです」
(なんだか、少し怖い……)
震える体を強く抱きしめた、その時……
イラ「……怖い、よね」
イラさんが、部屋の隅に佇んでいることに気がついた。
〇〇「イラさん! 戻ってきてよかったです……!」
イラ「ごめんね……僕……」
イラさんは、困ったように眉を下げた。
それ以上何も言うことができず、私はイラさんの靴を見つめる。
イラさんの深いため息が、ひどく私の心を揺らした…-。