第5話 鼓動

森は今日も静寂に包まれている。

穏やかな木漏れ日が揺れる中、私はハクさんに借りた本を読んでいた。

(……難しい)

ハクさんの方をちらりと見ると、静かに本を読みふけっていた。

(……出会った時も、こうして本を読んでた)

(あの時は、ずっと気づいてくれなくて)

(感情がないなんて、メイドさん達は言ってたけど……)

ハクさんの笑顔を思い出すと、胸が温かくなる。

じっと彼を見つめていると、パタンと本を閉じる音がした。

ハク「……」

ハクさんの灰色の瞳が、静かに私を映している。

○○「ご、ごめんなさい! お邪魔しちゃいましたか?」

ハク「つまらなかったか?」

○○「え……」

ハク「その本」

ハクさんは、私が持っている本に視線を移した。

○○「あ……その、私には少し難しくて……」

ハク「そうか。悪かった。 物語は、あまり持ち合わせていなくてな」

そう言ってハクさんは、すまなさそうにうつむいた。

○○「そんな……! 私こそ、すみません。せっかくお借りしたのに……」

ハク「教えてくれないか」

○○「えっ……」

ハク「なぜ物語が……好き、なのか」

○○「えっと……」

必死に言葉を探していく。

○○「お話に出てくる登場人物と、感情を同じにできるところ……かな」

ハク「……」

○○「嬉しいとか、悲しいとか。私もその物語の中にいる気持ちに、なるんです」

ハクさんが、私を真っ直ぐに見つめている。

ハク「……やはり俺にはよくわからない」

○○「あの……ハクさんは、嬉しいとか、悲しいとか……。 そういうこと、感じたりしませんか……?」

ハク「……。 ……俺は」

ハクさんの表情は変わらなかったけれど、その声に、少しだけ憂いを感じた。

ハク「俺の母は、感情豊かな人間だった」

(……だった?)

ハク「感情の振れ幅が大きかった。 嬉しい時は涙を流して喜び、怒っている時は物を壊しながらわめいたり。 俺に暴力をふるうことも、少なくなかった。死にかけたこともある」

(そんな……)

ハク「そんな母から逃げるように、俺は本に没頭した。 いつしか俺は、本を読むことしかしなくなった。 そのうちに、笑うことや怒ることもできなくなった……と、いうよりわからなくなったんだ。 母に何を言われても、何をされても、俺はもう何も感じなかった。とても楽になった」

○○「今は、お母様は……?」

ハク「死んだ」

○○「……!」

ハク「もう、だいぶ前のことだ。俺は、その時すら何も感じなかった」

(そういえば……)

ー----

メイド1『ほら、王妃様がお亡くなりになった時も……』

ー----

(ハクさんが感情を失くしたのは、自分を守るためだったんだ……)

ハクさんから語られた言葉に、何と言っていいのかがわからなくなる。

ハク「でも……」

ハクさんの大きな手が、不意に私の頬を包む。

○○「ハク……さん……?」

ハク「お前も、感情が豊かだが……。 母とは違う。お前を見ていると、何だか不思議な気持ちになる」

○○「ハクさん……?」

彼の長い指が私の頬を撫で、胸が早鐘を打ち始めたその時…ー。

ハク「……!」

ハクさんが突然、私の腕を強く後ろに引いた。

○○「……っ!」

突然の強い力に体を支えきれず、私はその場に倒れ込んでしまう。

○○「ハクさん……?」

慌ててハクさんの方を見ると……

??「ハク王子……だな」

背の高い男が、ハクさんの前に威嚇するように立っていた。

男「一緒に来てもらおうか」

男が剣を抜こうと構えた時……

ハク「……!」

ハクさんが素早く懐から短剣を抜き、それが瞬時に男ののど元に突きつけられた。

(速い……!)

ハク「……去れ」

剣の切っ先がのど元に触れ、わずかに血が流れ出す。

男「くっ……」

男は苦虫を噛み潰したような表情を浮かべ、私達から離れたけれど……

男「……」

(え……?)

私の方を見て一瞬ニヤリと笑ったかと思うと、そのまま森の中へ消えて行った。

○○「……」

私は、倒れたまま動くことができないでいた。

ハク「……大丈夫か」

ハクさんが剣をおさめ、私を助け起こしてくれる。

○○「今のは……」

ハク「ああ。 恐らく盗賊だ。以前も襲われたことがある」

ハクさんは、何もなかったかのように淡々と言葉を発する。

ハク「俺は供もつけずに一人でいることが多いからな」

(そうだったんだ……)

ハク「……ひざが」

ハクさんに言われて自分のひざを見ると、擦り傷ができていた。

(さっき、転んだ時に……)

ハク「……」

ハクさんが、いきなり私を軽々と抱き上げた。

○○「ハ、ハクさん……!?」

驚いて頬を染める私に構わず、彼は足早に歩き出す。

○○「あの、大丈夫です! たいしたことないので!」

ハク「しかし、俺がお前に怪我をさせてしまったのだろう」

○○「あれは、助けてくれたんですから……それに、私、重いですし……!」

恥ずかしさに何度も瞳をまばたかせている私に、ハクさんがぽつりとつぶやく。

ハク「うさぎとたいして変わらない」

触れているところから、彼の熱が伝わってくる。

(ハクさんの、心臓の音が聞こえる……)

森の静寂の中、私達の鼓動だけが音を立てているようだった…ー。

 

 

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