ついに迎えた短距離走の世界記録挑戦の日…―。
○○からの激励に応えたオレは、グラウンドの隅で、本番に向けての精神統一に入っていた。
観客達の期待の目と、男の子とした約束がプレッシャーとなって伸しかかる。
その上、思わぬ怪我をしてしまった足……
(正直、コンディションはこれまでになく最悪だ)
(けれど、こんなことで諦めるわけにはいかないな……)
目をつむり深い集中に入った俺の頭に浮かんだのは、先日、○○に問われた時のことだった…―。
―――――
ヴィオ『記録を更新することで、皆に夢を与えることができるはずなんだ。 オレはどんどん夢を与えたい。みんなの挑戦したい気持ちをかき立てたい。 オレは挑戦し続けて、夢を生み続けるんだ!』
―――――
(あの時の○○、オレを見て、キラキラと目を輝かせていたな……)
あの輝きこそ、小さい頃からオレが皆に与えたいものだった。
それを○○がオレに見せてくれた。
(オレは○○のためにも、あの男の子のためにも、一番の称号を手にしてみせる……)
ヴィオ「よしっ!!」
両手で自分の頬を強く叩いてその場から立ち上がる。
その時…―。
アナウンス「短距離走世界記録挑戦、まもなく開始となります」
観客の押し寄せた競技場にアナウンスが響いたのだった…―。
…
……
一陣の風となり、トラックを駆け抜けた結果、得られたのは世界記録の完全同タイムだった。
(また駄目だったのか……!!)
鼓膜が破れんばかりの大歓声を一身の浴びる中で感じたのは、これまで何度も経験してきた悔しさだった。
けれど…-。
○○「ヴィオさん! おめでとうございます」
男の子「恰好良かった……!」
オレに駆け寄ってきた○○と男の子が見せたのは、最高の笑顔だった。
(単独一位は取れなかったのに……なんでこいつらは、オレをこんなに労ってくれるんだ?)
失意が軽い驚きに変わっていく中、観客の押しかけた競技場を見渡せば、そこにあるのは、輝きに満ちた夢を見る人々の笑顔だった。
(たとえ一位になれなくても、皆に夢を与えることができるのか……)
それは○○や、男の子や、このレコルドの人々が教えてくれた新しい感動だった…―。
記録挑戦が終わったその日の夜、城で盛大な祝賀会が開かれた。
様々な人達がオレの前に列を成して、賞賛や励みの言葉を贈ってくれる。
(皆……嬉しそうな顔をしてる)
(良かった……!)
その列もようやく途切れた頃…―。
○○「ヴィオさん、本当におめでとうございます」
中庭に出たオレを追って、○○が近寄ってきた。
その瞳はまだ感動に潤んでいて……
(こいつ、こんなに綺麗だったか……?)
これまで記録を作ることばかりに夢中になって、○○の顔も全然見てなかったことに改めて気づかされた。
ヴィオ「ありがとうな。と言っても、一番じゃないからちょっと複雑だけど……」
○○「だって、すごく嬉しくて感動したから……」
彼女の瞳に心の底から感動が浮き上がったように思えた。
それはオレの知る努力の汗や、悔しさの涙とも違う綺麗なしずくだった。
ヴィオ「オレ、オマエにも夢を届けられたんだな? 感動と一緒に」
○○「はい。もちろんです」
ヴィオ「そうか。やっぱり、諦めないに限るな!」
晴れやかな気持ちがすっと心の中を吹き抜けていく。
(こんな気持ちになったの、いつぶりだろうな……)
湧き上がってきた思いに、気づけばオレは○○の腰を抱き上げていた。
○○「っ……!」
彼女が弾かれたように驚いて、オレの胸板にしがみつく。
その頬が、やがて微かに赤く染まり始めた。
ヴィオ「オマエのおかげで心おきなく集中できた。だから怪我の痛みも全然忘れてて……。 最後まで満足のいく走りで終えられた。 ありがとう! ○○!」
本当に今の今まで忘れていた痛みを思い出して、可笑しくなって笑ったオレは、彼女を抱き上げたままその場で右足を軸にして回り始めた。
○○「あっ……ヴィオさん」
ヴィオ「オレ、今日は最高の気分だ!」
驚く彼女の顔がさらに赤く染まって、愛おしくてしょうがなくなる。
(けどこの気持ちって、どうやったらこいつに伝えられるんだ!?)
○○を地面に降ろしたオレは、胸を熱くさせて彼女に向き合った。
(いや、方法なんていい……悩んだところでオレは真正面から伝えるしかできない男だ)
オレを見上げる彼女の瞳を真っ直ぐに見つめて、すっと息を吸う。
ヴィオ「オマエはオレの……。 勝利の女神だから」
感じたことのない気持ちが溢れてきて、彼女の頬に触れる。
ふっくらとした肌はすべらかで……
記録を出すためのトレーニングばかりを続けてきたオレの手じゃ、傷つけてしまいそうだった。
けれどそれ以上にもっと触れたくなるし、傍にいたくなる……
ヴィオ「だから、ずっとオレを応援してくれるか? オマエがいれば、いつまでだってどこまでだって走っていける気がする。 オマエがいれば……どんなことにだって挑戦できる気がするんだ」
○○「ヴィオさん……」
走ったわけでもないのに頬が熱くなる。
やがてまばゆく輝く瞳に吸い寄せられるように、顔が近づいた。
そして唇が触れ合いそうになって…―。
ヴィオ「まぁ、断らせないけどな。 勝利の女神は、オレだけのものだ」
自信に満ちた声を意識して、彼女の耳元で囁くと……
オレの勝利の女神は恥ずかしそうに、微笑んでくれたのだった…―。
おわり。